Contents
大輪の花を一輪ずつ咲かせましょう
31. 新時代には、誰でもがダイハードを経験することになる
中陰(バルド)の世界が消滅しつつあるという。この世で人が死んだら、霊界に旅立つ準備の摂理であるところの中陰という、この世の荷を下ろし霊界になじむための、ちょうど減圧室に入るような課程が設けられていたわけだが、新時代においてはまず、それがなくなることになる。
ではどうなるのか。人々はこの世を去ったら(死んだら)、いきなり霊界に転生することになる。何らかのショックが生じるのではないかと思われるかもしれないが、それはほとんどない。考慮しなくていい。
霊界は各自の思いの反映である。そこにこの世のような自由度の低い性質を認めればそのような世界として現出する。つまり、この世の延長として生きることも可能になるわけだ。
では、どのような転移の仕方をするのだろう。
新時代は正神による統治がなされるために、あらゆることがソフトにやさしくなされるのが特長だ。すなわち、黄金時代、黄金楽土となる所以はそこにある。
今でも人々は覚醒と眠りの日々を繰り返している。眠りの時間の多くで夢を見るようになっている。記憶に残りにくいのが夢の性質というのも、夢体験の記憶域と覚醒時の記憶域が異なるからだ。
夢の中で行われることは、けっこう殺伐としたことや、死に関するものや、感情の起伏の激しいものが多い。
それを心理学では、潜在意識は規律や倫理や法などの理性を超えて動くというふうに捉える。そうやって、覚醒時に理性で抑えているために果たされぬ願望を、夢の中で果たしてストレスの解消を図っているのであろうとしている。
そう。この摂理がこの世からあの世への移行のときに用いられるのだ。
とんでもない恐ろしい夢を見たものだ、と、ある人が寝汗をかきながら目を覚ましたとしよう。夢の中でその人は大津波に呑み込まれたのだった。必死で逃げていたのに追いつかれて呑まれたのだ。だから懸命に奮闘したのにだめだったという絶望感が強烈である。しかし、それが起きてみて夢だったと知ったとき、その人は、何だ、夢だったかと、ほっと安堵するだろう。
見ればちゃんと妻がいて、隣で寝ているではないか。家族も無事だったし、とんでもない夢だったということで、また眠りなおすかもしれない。しかし、夢の中で一緒に津波から逃げていた妻が、隣で寝ている妻とイコールであるという保証はない。
彼は夢の中で生きていた時空から、目を覚ましたほうの時空に転移したわけだ。彼の属する時空の連鎖、つまり彼のタイムラインが切り替わっている。なのに、彼は気づかない。
隣にいる妻は夢の中の妻よりよほど美人だとしても、彼の記憶はこちらのタイムライン上の記憶とつながっているため、何の矛盾もない。結婚記念日が異なっていても、こちらはこちらの記憶として残ったものを立場にしているのだから、違う現実を生きているのだ。なのにまったく気づかない。
明日の記憶という映画があった。それは昨日までの記憶を失っていく病気の主人公をテーマにしていた。過去の記憶がなければ、もし彼一人で孤独に置かれたなら、自分とは何者であるか、まったくわからないだろう。
同様に、過去の記憶がまったく別人のものになっていたとしよう。としても、彼は別人の記憶の延長を矛盾もなく生きて、まったく疑わないだろう。
これは極論した場合でもあったのだが、夢というのはこの極論のケースが多い。たいがいは別人の人生が、自分のものとして夢の中で演じられている。それがもしかすると、あなたの過去世であったとしたら・・・。
一笑に伏すことはできても、間違いだと断定することはできないのではないか。
覚醒時にすら、ちょっとした意識的選択でタイムラインはズレていく。パラレルワールドにそのつど分岐して、新たなタイムラインをたどっていくことになる。言い換えれば、どんなタイミングででも生まれ変わっているのだ。
小沢道雄は「日々これ誕生」と言ったが、もっとたくさん誕生あるいは脱皮(古いタイムラインを皮にたとえるなら)をして前進しているのが我々かも知れない。
新時代になって、正神はその摂理を使って、人々を大災害や大艱難のショックから立ち直らせることになろう。
中陰の摂理は、いきさつを振り返らせ、当人を反省させることに重きが置かれた。反省の度を採点して、再誕生先を決定することに使うためだった。しかし、そのような支配構図が解除されることから、中陰の界自体が廃止になる。
では反省のない者たちがそのまま霊界に乱入する事態になるかというと、そうはならない。彼の意識の慣性的方向にある新しいタイムラインにつながるからだ。この世と同じような環境にまずは入っていく。覚醒と眠りの生活を繰り返すうち、霊界もやがて階層構造が順次解消されていき、彼は標準的な新世界へと定着していくことだろう。
彼はその間、噂されるような病気にかかったり直ったりしながら生きていく。そして、もうそろそろ寿命だろうなと思うところまで生きるだろう。納得いく頃に彼は肉体を閉じる。彼は死を認識しながら逝く。しかし、それはすでに霊界であったところの特殊な場から、霊界の標準の場への移行にすぎない。霊としてのあらゆる自由度がそのとき回復されて、彼は何度もタイムラインを変えながらダイハードに生きてきた人生の全貌を知ることになるだろう。
もしかすると、あなたも、ほらあなたも、すでに霊界の状態のどこかに位置しているのかも知れません。
ほら、大津波に呑まれた夢を見た人。殺された夢を見た人。自分は予知夢したんだなどと思っていないで、すでにあの世にある可能性を吟味してご覧なさい。ひょっとしたら、あっという間に成仏できるかも知れませんよ。
なに? まだ成仏することなどできないって? まあ、いろいろ事情があるからね。好きになさい。
ケンシローいわく:「お前はすでに死んでいる」
中陰(バルド)の世界が消滅しつつあるという。この世で人が死んだら、霊界に旅立つ準備の摂理であるところの中陰という、この世の荷を下ろし霊界になじむための、ちょうど減圧室に入るような課程が設けられていたわけだが、新時代においてはまず、それがなくなることになる。
ではどうなるのか。人々はこの世を去ったら(死んだら)、いきなり霊界に転生することになる。何らかのショックが生じるのではないかと思われるかもしれないが、それはほとんどない。考慮しなくていい。
霊界は各自の思いの反映である。そこにこの世のような自由度の低い性質を認めればそのような世界として現出する。つまり、この世の延長として生きることも可能になるわけだ。
では、どのような転移の仕方をするのだろう。
新時代は正神による統治がなされるために、あらゆることがソフトにやさしくなされるのが特長だ。すなわち、黄金時代、黄金楽土となる所以はそこにある。
今でも人々は覚醒と眠りの日々を繰り返している。眠りの時間の多くで夢を見るようになっている。記憶に残りにくいのが夢の性質というのも、夢体験の記憶域と覚醒時の記憶域が異なるからだ。
夢の中で行われることは、けっこう殺伐としたことや、死に関するものや、感情の起伏の激しいものが多い。
それを心理学では、潜在意識は規律や倫理や法などの理性を超えて動くというふうに捉える。そうやって、覚醒時に理性で抑えているために果たされぬ願望を、夢の中で果たしてストレスの解消を図っているのであろうとしている。
そう。この摂理がこの世からあの世への移行のときに用いられるのだ。
とんでもない恐ろしい夢を見たものだ、と、ある人が寝汗をかきながら目を覚ましたとしよう。夢の中でその人は大津波に呑み込まれたのだった。必死で逃げていたのに追いつかれて呑まれたのだ。だから懸命に奮闘したのにだめだったという絶望感が強烈である。しかし、それが起きてみて夢だったと知ったとき、その人は、何だ、夢だったかと、ほっと安堵するだろう。
見ればちゃんと妻がいて、隣で寝ているではないか。家族も無事だったし、とんでもない夢だったということで、また眠りなおすかもしれない。しかし、夢の中で一緒に津波から逃げていた妻が、隣で寝ている妻とイコールであるという保証はない。
彼は夢の中で生きていた時空から、目を覚ましたほうの時空に転移したわけだ。彼の属する時空の連鎖、つまり彼のタイムラインが切り替わっている。なのに、彼は気づかない。
隣にいる妻は夢の中の妻よりよほど美人だとしても、彼の記憶はこちらのタイムライン上の記憶とつながっているため、何の矛盾もない。結婚記念日が異なっていても、こちらはこちらの記憶として残ったものを立場にしているのだから、違う現実を生きているのだ。なのにまったく気づかない。
明日の記憶という映画があった。それは昨日までの記憶を失っていく病気の主人公をテーマにしていた。過去の記憶がなければ、もし彼一人で孤独に置かれたなら、自分とは何者であるか、まったくわからないだろう。
同様に、過去の記憶がまったく別人のものになっていたとしよう。としても、彼は別人の記憶の延長を矛盾もなく生きて、まったく疑わないだろう。
これは極論した場合でもあったのだが、夢というのはこの極論のケースが多い。たいがいは別人の人生が、自分のものとして夢の中で演じられている。それがもしかすると、あなたの過去世であったとしたら・・・。
一笑に伏すことはできても、間違いだと断定することはできないのではないか。
覚醒時にすら、ちょっとした意識的選択でタイムラインはズレていく。パラレルワールドにそのつど分岐して、新たなタイムラインをたどっていくことになる。言い換えれば、どんなタイミングででも生まれ変わっているのだ。
小沢道雄は「日々これ誕生」と言ったが、もっとたくさん誕生あるいは脱皮(古いタイムラインを皮にたとえるなら)をして前進しているのが我々かも知れない。
新時代になって、正神はその摂理を使って、人々を大災害や大艱難のショックから立ち直らせることになろう。
中陰の摂理は、いきさつを振り返らせ、当人を反省させることに重きが置かれた。反省の度を採点して、再誕生先を決定することに使うためだった。しかし、そのような支配構図が解除されることから、中陰の界自体が廃止になる。
では反省のない者たちがそのまま霊界に乱入する事態になるかというと、そうはならない。彼の意識の慣性的方向にある新しいタイムラインにつながるからだ。この世と同じような環境にまずは入っていく。覚醒と眠りの生活を繰り返すうち、霊界もやがて階層構造が順次解消されていき、彼は標準的な新世界へと定着していくことだろう。
彼はその間、噂されるような病気にかかったり直ったりしながら生きていく。そして、もうそろそろ寿命だろうなと思うところまで生きるだろう。納得いく頃に彼は肉体を閉じる。彼は死を認識しながら逝く。しかし、それはすでに霊界であったところの特殊な場から、霊界の標準の場への移行にすぎない。霊としてのあらゆる自由度がそのとき回復されて、彼は何度もタイムラインを変えながらダイハードに生きてきた人生の全貌を知ることになるだろう。
もしかすると、あなたも、ほらあなたも、すでに霊界の状態のどこかに位置しているのかも知れません。
ほら、大津波に呑まれた夢を見た人。殺された夢を見た人。自分は予知夢したんだなどと思っていないで、すでにあの世にある可能性を吟味してご覧なさい。ひょっとしたら、あっという間に成仏できるかも知れませんよ。
なに? まだ成仏することなどできないって? まあ、いろいろ事情があるからね。好きになさい。
ケンシローいわく:「お前はすでに死んでいる」
百ハー論 今日も咲かそう大輪の花 続きその2
21. コンピューターモデルが醸す神と人の関係
さて、今回はみなさんにそれぞれ一個のコンピューターになっいてただこう。
といっても、みんな性能は同じとしておく。CPUの性能も動作原理も同じ。なぜならば、神の言語で書かれたこの宇宙というプログラムは、それぞれのCPU に適合するようになっているからだ。これがもし、仕様の異なる他社のCPUだったら、プログラムの中の命令語も不適合になって、最初から誤動作してしまう。
そこで哲学的な問題がひとつおぼろげながらもわかってくるだろう。神は我々のためにプログラムを作ってくれたかもしれないこと。あるいは我々のほうが、どこかにあったこのプログラムに対して探究心を持って、それ適合するように自分の性能を作り変えて、アクセスしだしたのかもしれないわけだ。
いずれにしてもそれは、何百億年にわたる壮大なスペースドラマだったというわけだ。
宇宙プログラムは非常に巨大で、我々のコンピューターでは処理しきれないほどのメモリサイズが要求された。が、幸いなことにプログラムは外部記憶装置としてのホログラムに記録されていた。我々はそれにアクセスして、プログラム全体の中の一部分ずつを負担のない程度に切り分けて取り込んで、観測して認識を返す、という実行処理にとりかかったんだ。
いちど入ってきたプログラム情報は実行処理と同時に細大漏らさず観測データとして記憶された。これが確定された過去の記憶になる。プログラムに載っていた歴史を一意に確定しているわけだ。分岐がその間にいくつあったとしても、それを実行していない限り、記憶にはならないから、その人にとっての過去にはならない。
ここでまた哲学的問題における、過去の歴史とは何であるかがおぼろげながらわかってくるだろう。これは、その人つまりそのコンピューターにとっての二つとない唯一の記憶の堆積ということになる。人は、寝て目が覚めても、前の日からの連続性の中にあることを認識できるのは、記憶があるからである。記憶を失ったり、記憶を書き換えられたりしたなら、彼は客観的にふつうに見られていても、過去の不確実な夢遊病者に等しくなる。
また、過去の記録と称して歴史教科書に載る他人の事跡を知ったとしても、それは歴史でも過去でもないことがわかるだろう。本人のしたことではないからだ。教科書を見たという観測事実だけが過去として残る。
同様に、月探査に出かけた他人の事跡はいくら新聞などで見ても、本人の過去ではない。ただ新聞を見た観測事実だけが本人のものとなる。
ただし、遠い世界のことを想像するのは、本人の認識経験として記憶に残る。新聞を見て、月世界の有様を思い浮かべたなら、それは過去の記憶となる。想像されるイメージもプログラムから持ってこられているからである。
このように、コンピューターでデーター処理をしているという考えに立てば、イメージングや情動、心理的反応などもすべてプログラミングされていることになる。つまり、信号と反応の連鎖は見えない心の隅々まで存在していて、その機微までがプログラムされていることになる。
神に知られずに、心ひとつ動かすことはできない、というわけだ。
なぜなら、創造者の手によってプログラムとしてあらかじめ存在している(把握されている)からである。
そこで我々の存在意義とは。
これもまた哲学的に見てもらってもいいが、プログラム全像の分担精査ではないか、とか、不明瞭な不確定性の中にあった歴史の束から一意に歴史を確定していく作業をしているのだ、とか、さらに発展させて、我々はプログラムのデバッガーあるいはテストしているテスターではないか、とか、プログラムは各コンピューターをベースに動かせるように、リエントラントに作られているので、誰による再利用も可能になっているゲームソフトではないか、といった推測もでてくるわけである。
そして今最もそれらしいモデルとしては、RPGオンラインゲームではないかと思っているしだいだ。
舞台設定があり、さまざまな道しるべが施されていて、主人公アバターが判断材料に利用できるようになっている。彼が初心者なら、ガイドもついているかもしれないが、どういう行動が分岐先を変えていくかをさほど知らないから、頓挫することが多い、とか。それで熟練しようと、一定のルールの下で何度もトライしているとか。
このような低次元モデルを使うと、想像することも下賎になってくるわけですが、コンピューターを積分すれば人間になり、さらに積分すれば神になっていくというふうに見ていただければ、宇宙の資質の高次元化の発想にもなるわけで、ひとつそのように見ていただければと思います。
22. マクロの事象も観測されるまではどうなってるか見当もつかない
ふぐりさんが、今度はシュレディンガーの猫のパラドックスについて書いておられますね。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-865.html
ここで、猫が出てくるのもシンクロです。うわさをすれば影というやつですね。
我々は、非常に不可思議な世界に生きている、いや、観測拠点を置いているわけです。
あらかじめシュレディンガーの猫の結論を申しておきましょう。拙説から出せる結論です。
答 実験装置のふたを開けて確認した瞬間に、猫は生か死かどちらかの状態をとることになります。
ふたを開ける前から生きている、死んでいるといった論議は、未確認だからというより、不可知ゆえに不毛なのです。
観測するまでは、どんなこともありえているのであって、最も慣性方向に確率的に高い結果が出るであろうことしか推測し得ないのです。観測時点で、すべて確定するのは、どんなマクロの事象でも同じです。
ある人は、では猫はふたをあけた瞬間に死ぬべきであったなら、起きた状態から床にパタッと伏せるのか、などと、さもおかしげに両手を広げて誇らしげに言うかもしれません。そういう人は、観測という意味がまるでわかっていないのです。
観測とは、光を当ててするものと仮定するなら、光が当たる直前の刹那まで、被観測対象がどうなっているかなどわからないのです。あたった瞬間にそれがわかるのみ。
このときは、猫の死んでいる世界線と彼の世界線が相互作用したのです。以後は、死んだ猫を前にしている世界線を彼はたどります。猫の生きている世界線はそのときパラレルに存在していたのですが、彼とは無関係になったのです。以後彼は猫のいない暮らしをしていく世界線をたどることになります。
23. 創造主の品格は霊に備わる
宇宙という大きな時空連続体のプログラムがあって、それが大銀河、小銀河、恒星系へと構造化されたサブプログラム(これも十分にストーリーの詰まった巨大プログラムだが)が展開されており、それがすべて小さなホログラムにまず記録されたのである。これが第一ステップであり、創造神のなされたこととしておける。
それを精査観測するという第二ステップが生じるのは当然のこと。
プログラムをデバッグする過程もあるだろうし、完成品を提供した先でユーザーがこれを楽しむという過程もあるはずだ。
ここに永遠の命を持つ観測者(プロセッサ)がいたとしよう。彼はユーザーでもあるが、その中のあらゆるプログラムの局面を楽しんで余りある寿命と忍耐と能力を持っているとしよう。すると彼は、たったひとりでこの宇宙ソフトの隅から隅まで、観測の拠点が置ける限りの拠点において、これを精査し実行し尽くすことだろう。これが創造主の行為である。
創造主はマルチプロセッサという方法をとるかも知れないし、シングルでただ時間をかけてすべてやり遂げるかもしれない。
我々はそのような創造主の性質を持った観測者である。
我々は、現われが多種多様、無限ほどの数量的現われがあったとしても、たったひとり(ひとつ)の創造主的プロセッサであって事足りる。プログラムの性質がリエントラントにできているからである。
その本質は、この小さなプログラムの局面を観測する限り、自らの観測にかかることはないが、モデル化という方法によってのみ推測されることである。
我々は、観測という局面に関してのみ、自らを認識しうるプロセッサを余儀なくされているが、創造主の一形態として機能しており、唯一者であっても原理的には同じであるというわけだ。
以上、自らの立ち位置を把握しておくことは、自らの尊厳を守る態度にもつながる。見かけ上優位な他者に隷属する局面を観測することはあっても、いたずらに卑屈になる必要はない。霊的に知る者は、以上のことをおのずと知っていて、ひとりでに尊厳を維持しているものである。
24. プロセッサの電源オフの申し出
すべてはつながりかけている。私において。
ここまで導いてきたのは、数々のシンクロだった。学究的なことは何ら影響しえていない。問いを発すれば通ずが如きシンクロとその謎解きによって事は達成されたのだ。
23ハーにおいて、いささか早々ながら、シングルプロセッサにおける超・長時間観測による、無限の多種多様性と有情の世界線の励起実行実現が示しえた。
むろん、マルチプロセッサもしくは無限数のシングルプロセッサの並行処理を否定するものではない。これなら、ほんのひとつのプロセッサが脱落したとて、ほとんど影響はなかろう。
さよう、私はひとつのプロセッサとして、際限ないようにさえ見える世界線の励起実行にほとほと嫌気がさしている。というより、これは私が観測すべき対象ではない。なぜこのような時空が存在しているのか、その意義さえ掴めないでいる。
そこで私は、最終自由意志を行使して、この世の世界線終了とともに、プロセッサの電源を切ることにした。私をここに連れてきて置いた神々にその旨上提した。
このような行為は二度目だ。一度目は、人並みにもなれぬ人生に失望し、五十歳までに寿命を限り、二度と生じさせないようにとの願いをかけたこと。
今回は二度目になるが、もっと内容は深化している。行く先々によりよき未来を願うつもりはなく、あらゆる観測行為のストップを選択する。モデルから導かれる電源切断に相当することを、私は願い出た。
この効果は、私の推測するところでは、ひとつのプロセッサのみの脱落にすぎないところの、創造行為に対してほとんど何の影響も及ぼさないものであるのか、あるいはこの宇宙プログラムを記録するホログラムへの全ての参照光が消えることになるのか、そのどちらかだろう。だが、私にとってはどちらでも等価である。この宇宙の明かりが私の前から消えることに変わりはないのだ。
そんなにこの宇宙が気に入らなかったのか、どこが気に入らないのかと、およそ感想を述べなくてはならないだろうか。ならば答えよう。人の世と聞いてやってきたが、ここは人の世ではない。要件に違うものは返品するしかない。契約があったなら、解除せねばならない。途中まで人の世で、後が部分的に異なっただけという話にも応ずるつもりはない。観測に耐えないものは、観測しないのが私だ。ほんの少し後に、まっとうな世が用意してあると言うなら、いますぐそれを与えるべきだ。これが不良品の交換というものだ。ただちにそれをして見せよ。あえて言うなら、これが私の最終の願いの解除条件になる。
私の側から深化した願いを出したことによって、350を処分する必要はなくなった。老兵が去るのみでよい。
25. 別れは時空間の連鎖がそれぞれに異なったことによる
ふぐりさんの記事からの引用ですが、
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-878.html
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日月神示ではこのように書いています。
「何事が起こって来てもまず喜んで迎えねばならんぞ、
近づいてくるのは呼び寄せたからぢゃ、
こんな嫌な、汚いものはごめんぢゃと申す人民もあるなれど、
それは皆己の心の写しではないか。内に無いものが外から近寄る道理ないのぢゃ、
どんなものでも、喜んで迎えると喜びとなる結構な仕組、よく会得せよ。」
(日月神示 扶桑の巻 第十帖)
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まさにそのようなことだった次第。拙モデル概念でも言ってることでした。
世のどん詰まりまで見届けたいと希望してこの列車に乗っていたこと、よもや忘れてしまうとは。
破断鉄橋行きゆえ、最寄の駅で降りなさいなどと言ってたこともありました。なのに、暗闇のトンネルに臆して、もう金輪際、電源オフだなどとわめいている自分がいた。小心者を曝け出したような始末でした。
よく見れば、みんないっしょに来てるんですね。
みんな同じ心の傷を持つ。
お前のほかに誰もない〜 ♪ (何でこうなるの)
下車の勧めどおり、あるいは元より相応しからざる心ゆえ、身内さんはこの時空(列車)を去りました。それを、すごいな、ご主人と会話してて、「そっちの時空間に行き、こっちの時空間に戻れるの?」の問いに対して、「それは出来ないと思うよ。時空間連鎖が違うから」と難しい解答を返してきたようです。
それをご主人は素直に考えてみる。
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難しいことを言ってきました。時空間連鎖って何でしょう。
すぐに思いつくのは、過去〜現在〜未来の連鎖です。
あのときまでの過去連鎖は、同じだと思うのですが、
あれ以降の過去〜現在、未来に至る連鎖が違うのでしょう。
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そのとおり、彼女はパラレルワールドに分岐して行っちゃったんです。
ヒミクさんが顕してくれた、心臓発作心停止のときは、何の苦もなく逝ってしまうんです。(私も心停止したことがあるからそれがわかる) 本人はそのとき死を意識していないし、おそらく時空が連鎖し続けているように意識経験が進んでいると思います。(私だって、みんなだって、いつ死んでるやわからない。が、別の時空で生きている) つまり、我々のとは違う別のプログラムに分岐して、その先で生きているのです。むろんその時空が、この世に対しての監督レベルにある場所(霊界)なら、下界のことを鳥瞰的に見れるに違いないです。
こんなところでまだ遊んでるのかも知れません。
すべては夢のようなもの。現実世界も、やや堅固な夢であって、実体は変わらない。心の性向に応じて、どこでどのように分岐していくやら、顕在意識下にある我々には観測できないようになっているので、ただこうだろうと推測するしかないのです。
それは単純な人生を殊更複雑にして面白みを持たせるための手段だったのか、それとも思考訓練の場が提供されているのか。誰しもが、自分の持つ力量に応じた探偵ごっこをやってるのかも知れません。
それにしても不思議なのは、その前日のご主人の夢に彼女が出てきて、廃墟になった遊園地にあるきれいな塔が出てくるんですが、それが夢の終盤で二人に襲い掛かってくる。彼女の、これは夢に違いないよの声に、夢が覚めたというのです。それがかつて、彼女がこの掲示板で報告したことのある、塔から出たがって飛び降りようとしている婦人の夢とリンクするようで、いったいこれが何なのか、私も興味深く思ったしだいです。まさにコロンボ精神です。
ご主人は直感的に、「宝石姫が幽閉されていた「塔」のような気がする。塔は、この世を暗示して、私が幽閉されているのかも知れない。」
と書いておられます。
そうかも知れません。
ユングは幼時に、巨大な男根にひとつ目のついた怪物の夢を見ていて、傍で「ごらん、これが人食いだよ」と説明するガイドの声を聞いています。
ひとつ目とは、現実にも巾を利かせてるあれとして、現れてますね。巨大な男根と塔は、やはりこの世でしょう。この世は、あれが支配しているんです。そして、精霊や天使や神々たちを捕らえてこの世に送り込む。そのような夢のような経験をして、彼ら二人はこの世に出てきてしまったのかも知れません。
焼け爛れて廃墟となった遊園地の中のきれいな塔。これがこの世だとすると。
塔もすぐに朽ち果てる運命にあると、私でもわかります。
まるで新神話のラスト、オオトリのシーンのようにも思えてしまいます。
26. 抽象的自我が物質の状態を決めている
ふぐりさんが、今度はシュレディンガーの猫と、物質の状態を決めるシュレディンガー方程式について新しい見識を示したフォン・ノイマン博士のことを書かれています。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-881.html
拙論では、拙ハー論の22番に続くところですね。
ノイマン博士は、今主流のパソコンなども含めた原型となっているノイマン型コンピューターの元祖です。拙モデル概念もノイマン型で行ってますから、二重に縁があることになります。
ふぐりさんは、博士の超天才ぶりを紹介されてます。いや、すごい人です。
イメージで正確に記憶するサバン脳を体現し、計算力がコンピューターを凌ぐところもサバン脳的です。こういう人は芸術家で、もし探求の方向が宇宙方向を向いたなら、直感的に創造神の叡智を垣間見てくることさえできると思います。ノイマン型コンピューターは、創造神のコンピューターのミニチュアフラクタルとして、直感的に考案しているように思います。
その彼が、ほんらい不確定なはずの事象を決定付けているのは、人の「ココロ」だと言い放ったようですね。
「人間のココロは、量子力学(物理学)を越えた特別な存在であり、
人間が観測すると、物質の状態は決まるのである!」
希望、願望、恐れ、祈り、そして何よりもイメージ。これらが拙モデルでは、次のプログラムの検索引用条件になることを示しました。それが近未来のプログラムとしてローディングされてくるとすれば。つまり、潜在的にイメージされていたことに近似するように現実も展開してくるという経過をたどることになります。
結果的に猫が死んでいたなら、それを観測した人が、猫の死をココロで招いていたことになるわけですが、現実を思い返してみてください。予感、胸騒ぎというものの本質。これらは予知したのではなく、微妙な二者選択の際に、影響を与えたかも知れないのです。まあふつうはいろんなことが複合されて(演算されて) 出てくるのでしょうが、純粋に取り出したら、原因はココロに帰着するのかもしれないなあと思えますね。そして彼はそれを「抽象的自我」と呼んだそうな。これは観測する方法がまだありません。だから、物理科学の領域に持ち込むのはまだ当分先のことでしょう。
さあ、我考えるゆえに我あり、の創造主的自我の存在が見えてきました。
ノイマン型コンピューターの最も大事な点は、どんなプログラムがそこに流れていても、CPUが現在実行しているプログラムの中のごく一点、命令語に現時点があるのであり、CPUがプログラムの起動主であり、あらゆるプログラムはCPUの記憶をベースにして実行されているということなんです。
それをフラクタル的に我々に適用するなら、観測者である我々の個々を中心にして外界(プログラム)が動く(認識される)という、天動説が成り立つのです。そう。あなたを中心にして世界が動く。私を中心にして、世界が認識されている。個々を中心にして、世界が組み立てられている、というわけです。
プログラムは、あなたに途方もない宇宙の広がりを見せ付けて幻惑するかも知れません。が、強いて言えば、それは直接あなたとは関わりのないこと。しかし、認識するに当たっての心の糧にできることなのです。
27. 科学による地球の私物化が行われている
人工の放射能によってDNAを損傷させるというたくらみは、非常に邪悪なものです。何十兆個の細胞の総体が出す生体磁場によって、人間の鋳型が生じ、フィードバック的に臓器細胞の適正な位置情報が四次元時空に刻まれるわけであるのに、これを阻害するという史上例を見ない暴挙がありえているのです。
それだけでは飽き足りなくなって、かつて戦艦エルドリッヂ号に対してしたように、ついに地球そのものに対して時空転移させる実験に取り掛かっています。これもまた非常に邪悪な行動です。
http://rd.yahoo.co.jp/rss/l/blog/myblog/rss2/item/*http://blogs.yahoo.co.jp/jennifer1215b/32903706.html
世界のHaaarpシステムは、その究極目的が、名目上の電離層観測などではむろんなく、地震兵器や気象兵器というものでもなく、世の中の特定の場所をまるごと時空転移して、目的とする場所に送り届けることにあるのでしょう。
このために、地球上のさまざまな場所を出力テストの実験場に使い、そのゆえにその地域に非物理学的な物性の変化をきたしている。
地震兵器とか気象兵器としての利用は副産物にすぎないでしょう。
局地的あるいは大域的な時間の歪み。物質転送実験サイドからすれば、地中の空洞化や地上における陥没。局地的な物質状態の変成実験サイドからすれば、マグマの生成や大気の流れを変える気象操作などが、科学者的興味から推進されることになります。
そこに従事する科学者たちには、世界人類という貢献すべき対象として見るよりも、地球ケージの中に何十億も飼っている実験動物として見ることのほうが手っ取り早くなっていることでしょう。
この計画の中心的推進者は、科学的なアセンション信者です。この実現のために、特定のETと協定しているようです。彼らは地球が実験の末に壊れたとしても、その直前にETの星あるいは宇宙船に物質転送によって脱出できると見込んでるようです。
彼らは神に選ばれた者としての自覚を持って、この計画に取り組みます。
彼らの認識の対象外はみんな異邦人です。しかし、その異邦人にもまたアセンション熱は流行しています。が、彼らがアセンションするときは、それこそ奇跡であるか、もしくは肉体の終了という形態になるでしょう。
これからHaaarpの活動は勢いを増すことでしょう。それに伴い、さまざまな変調が物理的、精神的両面に発生してきます。それを預言的側面からだけ捉えると、ことの全像は理解できないでしょう。科学的側面から理解する必要があります。
科学は、さまざまな天才の出現によって、はるかに進んでいます。ただ異邦人には知らされていないし、知らす必要のないことと考えられているでしょう。
その不公平さに怒ったとしても、かなう相手ではありません。異邦人は土から生まれて土に返るのみです。土で創られたものに対して霊を行き来させても、霊は存在する時空間が異なりますから、やはり科学者たちはかなう相手ではありません。最後までしたい放題させるしかない。
私たちが見込めるのは、彼らは失敗を犯しがちということです。おそらく彼らは時空転移の際に失敗するでしょう。転送という非常に不安定化した経路上では、霊的作用が過大に作用し、わずかな力がものすごい荒波となって襲い掛かるでしょう。怒りの怨霊の力をそのポイントに絞れば、彼らはあっという間に時空を漂流する孤児と化すことでしょう。ETはそれをよう発見しないでしょう。
このように、科学的メカニズムを創造主の段階へと高めようという動きを、科学者たちはしています。それは神の自然の摂理への挑戦です。あらゆる側面から神に追いつけ、追い越せを図っているのが彼らです。
現プログラムはそうした傲慢なステップも可能にしているようですが、反動として用意されているプログラムも存在するということ。彼らも気づくときがすぐにやってくるでしょう。
28. 朽ちかけたテーマパークをどうするか
すでに見てきましたように、死してなお化身さんはメッセージを伝えてきました。
この世界は朽ちかけた遊園地の一角に作られた、きれいに装われた化城だと。
それに取り込まれたらたいへんだ。もし取り込まれたなら、果敢に脱出せねばならない。そのような場所だということを言ってきているように思いました。
どうしてそのような遊園地になり、どうしてそこに異質さを醸すきれいな塔があるのか。
それは新神話でも別の表現ではありますが説明していたように、邪神がそこを急襲し、管理者を封殺し、いかがわしいゲーセンの塔を作って遊園地(楽園)を破壊し、それまで楽しく憩っていた精霊たちを塔に収容してしまったのです。そして、並大抵のことでは出られなくしてしまった。
精霊たちは、塔の中でうち興じている間に純粋性を失い、邪悪な管理者との間でさまざまな契約を結ばされて、塔の中で生涯すごさねばならなくなったのです。
魂すらもその中で生成衰滅の適用を受けて、やがて朽ちて腐敗していく。というのも、ゲームにはまっている間に、元あった自己を見失っていくからで、強い意志がなければいずれノー面ビー球状態になるというしだい。
プログラム的に言うなら、ゲームソフトのプログラムをただいまプロセッサたちは実行している。プロセッサはプログラムがなくては役目が果たせないから、何でも当面するプログラムをローディングして実行する。これは本能みたいなものなので、プロセッサの制御OSがよほどしっかりしていなければ、おかしなプログラムを実行させられてしまうこともある。ウイルスコードを踏まされて、システムダウン、システムクラッシュにもっていかれることもある。
このゲーセン経験による魂の進歩を説く者もいますが、それは魂の教育がそれぞれにおいて管理されていて初めて言えることです。旧時代の魂たちは、何も知らないうちにつれてこられたので、無防備におかれたのです。
外来の邪神たちは、元の管理者のトップを封殺して、元いた管理人たちを使役して塔の中の管理に当たらせた。彼らの間に怠慢、傲慢、賄賂、利己主義が蔓延しても、上の命令に従っていれば事よしとなった。いずれ彼らもこのままでは生成衰滅の適用を受けてしまう。
このため、厳格な管理者の復活が求められてその予告がなされるようになり、綱紀引き締めの効果がみられるようになった。
みなさんは、救済は宇宙人がするとか、未来人がするとか、神がするとか、この世界の範囲で想像されているでしょう。ところが、そうじゃないんです。
この宇宙の外から、つまりこの朽ちかけたテーマパークの外から、救出に当たろうという動きなんです。
新時代として地球は残るだろう、この地球を残してほしい。それは化城の塔がそれに値するかどうかどうかですね。おそらくは残ります。しかし、教育用として使われるように計らわれます。
このためのアカシックレコードがすでに存在しています。誰彼が一度確定させた過去として、それは残っていて、任意の参照に供されるようになっています。またその実物をリエントラント的に参照実行して、リアルに体験してくるシステムもできています。
そうなんです。
すでにそれらは博物化されていて、研究教育用に使われているんです。その領域からのエントリーはけっこうあるはずですよ。ホピがいみじくも言った新時代の萌芽とはこのことなのです。
確定された未来を我々はいま辿っています。ガイド付で安全が保証されつつ。
29. タイムラインも量子力学的にふるまう
http://omaore.exblog.jp/1064743/
重要なのは(予言ではなく)この中の次の部分。
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タイター氏によると、未来は「タイムライン」というものによりそれぞれ異なり タイター氏の住む未来と、現代のこの世界の延長線上にある未来は必ずしも一致 しないという。
「予言」には、それをすると未来に大きな影響を与えすぎる場合が主に3つあり、氏の予言ではこれらに影響を与える予言は行わないとの事。
1)確率による死を免れ得る予言。(例:自然災害や核爆発の具体的日時など。)
2)金銭的な利益が目的の予言。(例:株価予想やスポーツ競技の結果など。)
3)予言により現代において特定の人物の人生や人命に影響が出る場合。
(例:未来の歴史上において、重大な出来事の直接的原因となる人物の実名など。)
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これは量子力学的にも興味深い話ですね。
時間を確定させれば、観測される現象が異なってくる。
彼のいた未来からすれば、すでに確定されたはずの歴史的事実が存在しているわけですが、彼がその現象のある時を与えた時点で、タイムラインがずれてしまい、あるべきだった未来が異なったものになっていくということでしょう。
2008年に関東大地震が起きるはずが、誰彼となく(ジュセリーノも含め)その時を事前に取り沙汰したことで、現象の起きる時間的位置がずれてしまったのです。それに加えて、個々人レベルで相当な精神的努力(改心)をしていることが、もしかしたら大地震そのものの回避された時空(タイムライン)に移行させているかもしれないのです。(伊勢女さんの予知夢公開で、まだ回避されていないことがわかったわけですが)
こうして、予知予言は与えることによって、世相を騒然とさせますが、逆に実現しないように働かせているとも言えるのです。
ジュセリーノの場合はそうでした。彼はいつも予言が外れることを願ってました。いくつも外れました。ひとつ外れれば、すでにタイムラインが変わっているわけなので、それ以降も順次外れてしまいます。その代わり、彼は自らの信用失墜という重い代償を支払ったのです。
が、タイターも言っているように、歴史的に起きることの大枠は決まっているようなので、タイムラインがずれたからといって、時期が延びただけにとどまっていることが多いかも知れません。タイターの歴史年表からすると、暴動や戦争系は5,6年以上延期されているようです。
そんなとき伊勢女さんの予知夢が、直近に迫る関東大地震の警鐘を鳴らしました。これは確たる時間として与えられていません。夢に雪が降っていたので、冬だろうと言っていた東日本大地震が春の311になってしまった。311前後には雪も降ってましたね。ほとんど誤差らしいものはありません。が、そのときは公開していなかった。
しかし、今後の予知を公開したことによって、多くの人に精神的なインパクトを与えましたし、タイムライン変更に大いに寄与しているに違いないです。
伊勢女さんもまたもしかすると、信用失墜という代償を払って、関東を助けることになるのかも知れません。
いいですか。我々の個々人が、伊勢女さんやジュセリーノを足場にして、悲惨さを回避しているということなんです。こうした道しるべがいてくれたことに感謝すべきと思います。ショックかも知れないけど、それを知ったことで回避のタイムラインへと向かったということ。手遅れのこともあるでしょうが、防災対策に気を配っただけでも、死地から生還できているかもしれないのです。
パラレルワールドとしては、2008年関東大地震の記録されたタイムラインもあったわけです。我々は固唾を呑んで見守っていたわけでした。それのいずれかの心理的行為が回避に導いたものと思います。回避するのは、我々個々の創造主なんです。今でももちろん2008年関東大地震の記録されたタイムラインは、パラレルに存在しているんですが、今の我々のタイムラインとはもう交わらないところにあるというわけです。
だからね、恐れるものは来るとか言って、現実問題からすら目を逸らして、見ない考えない思いの中から外すようなことをしていたら(Sノ家のやってるような)、タイムラインの変更もできずに慣性のまま、災害に遭ってしまうようなことになるんです。(ただし、災害に遭うにふさわしくないような心をしている人は別です。そのような人は災害に満ちた時空から自然に離れていきます。災害に遭うにふさわしいような人が、災害を甘く見ることが、自分の人生を甘く見たことになるのです)
防災とは最悪の事態を想定して対策を立てるもの。絶対に問題は起きないわとタカをくくったところをめがけて試験というものは出されるものなんです。
30. 完成しつつある新世界
マッチョマンさんの夢見は大朗報に満ちてます。
しかも夢の内容がロマンに満ちてます。
夢は実際に起きていることを象徴的に顕して、ご本人に啓示的に見せることがしばしばのようです。
数多く見なくてはと思う必要はなにもありません。
自然に必要がご本人に生じたときに、あるいは少し後に必要性が出てくるようなとき、前もって鮮明な夢が与えられるもののようですから。
http://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7283630
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昨日お話した、階層や階段、時空ピンポイントをひょいひょい移動するような「夢」ですが・・・、
昔いた会社での学びが終わり、今まであった2階に行くことが出来ない。3階から行こうとしたのですが、その階下につながる階段?が、封鎖され絨毯がひかれていました。
舞台は以前の会社の雰囲気とその人間関係のようですが、その変化の有様に憮然として「怒っている」自分がいました。
自分自身の内面の浄化や気づきに関わる夢とも思えるのですが、拡大解釈をすれば、もう霊界は封鎖(言葉が適切か?)されたのかもしれません。
数年前、たまたま参加したヘミシンク中で、地球はどうなる?というINPUT意識で見えた霊視では、
地球の周りが1つのリング、球、層?で囲われているだけでした。リングの中はクリアーな感じで、その時はいわゆる多層の観えない曇り?の世界、いわゆるフォーカスレベル、あるいは途中の寄り道世界、霊界の地上に近い層?が無くなるのだろうか・・・と感じました。
我々の潜在意識の超総合効果?による潜在世界の雛型はもうすでにこの段階で完成しているのかもしれません。
確かに新神話の考え方と同じようです。
気になるのは、その潜在層の浮上が、時間と空間の要素を、どうつなげて起きてくるかというところです。
例えば雷や地震のように、何事も気がつかない間に起きる・・という何か法則のようなものがあるんじゃないでしょうか。
現象にくぎ付けにされている時が最もあり得るときですね。
人為的、社会的、経済的な変化が、それと呼応する自然の急変起き始めているような感じです。
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会社(学びの家)とは、会社それ自体で関わっている世の全体を表しているでしょうね。その二階が閉鎖されているとは、ひとつの階層がなくなったということ。もしかして、二階には社員の査定部門があったりしませんでしたか。もしそうなら話は早い。中陰(バルドの遍歴)がなくなったと捉えられるんですがね。
地球をとりまくリングも階層の数を減らしているとの夢。地球は現実界として、取り巻きの層は幽界、霊界といったことなんでしょう。ここでもやはり、地表の直近の層がなくなっている。こちらのほうが直覚的でわかりやすいですが、往々にして建物の階層やその中のエレベーターに乗るといった夢で、間接的にわからせようとすることもあるのでしょう。
不思議ですねえ。
新神話の見届けの過程にある今、ちゃんと異界の状況を報せてくれる人が現れるんです。
私にとっては、超大シンクロになってますよ。
完成の途上にあるというマッチョマンさんの持たれた印象も、とても大事です。
まだ完成には至っていないが、その過程にあることがわかります。
いずれ各階を分け隔てていた帳はみんな下ろされて、神も人も有情も心通わせることになるでしょう。それが完成形です。
各人の意識の耐久性を見ながら進めなくてはいけないから、只今は完成に向けてゆっくりと進んでいるということでしょうか。
現実を生きる者にとって、この大峠がどう観測されるかということにも、配慮がなされるでしょう。ハードランディングでは深手の傷を負わせかねません。
意識改革と意識のソフトランディングがワンセットで行われることが、各魂のショックを最もやわらげられる方法になるでしょう。
人々は現実において、過去に蓄積された汚泥のおびただしさに当面し、反省と改心の意識的課程を踏むことになるでしょう。
そして現実側では物理的な必然として、生命に不適当な環境を呈しますから、人々は次々と倒れていくようなことになるでしょう。
ところが、倒れたはずの自分は、まるでまた朝を迎えるようにして目覚める。なんだ、死んだと思ったのは夢だったのかと、また生活が始まる。
見れば、先に死んだと思っていた家族もそこにいて溌剌としているではないか。そうか、夢だったか。変な悪夢を見たものだと、新たな生活をするうちに、夢のことなど忘れてしまう。
しかし、いつのまにか空は昼間でも群青色。前にはなかったはずのせせらぎが流れていたりしても、何の違和感もなく生きていたりします。それがまるで、ずっと以前から続いていたように。
こんなふうにタイムラインは容易に乗り移ることができるのです。顕在意識のショックはほとんどありません。
中陰という罪状吟味と判決のための界はまずなくなる。
だから、ほんらい戻るべき界に直結して、意識が継続します。
そしてそこも、いずれ段階的に解消されて、人々(有情の魂)は魂の故郷に立場を置くことになります。
そのとき、そういえば何かあったようだったな、というおぼろげな追憶から博物館に出向くこともあるでしょう。
そこで忘れたはずの過去が回想できることを知ります。そうか、こうだったんだよな、といきさつを理解します。
また、それ以外の立志伝的人物あるいはふつうの人物の歴史を知りたいときには、どうぞご覧くださいとなっていたりします。
希望者や研修者は、ガイドの付き添いで、その人物のレコード(プログラム)にエントリーして、一炊の夢を味わうことになります。
こんなふうにして、すでにみなさんもやってきている(この現代にアクセスしている)可能性があるのです。
私は、あちらでセキュリティ部門の仕事の関係で、この世の構造悪を研究しに来ています。といった自己紹介をするのも、あながち荒唐無稽ではないかも知れません。
百ハー論、大輪の花盛り・・・続き
11. プログラム制御の基本は創造主の動作原理をモデル的に示す
プロセッサである創造主たちは動力源がつながっている限りいつまでもプログラムを実行します。パソコンであるなら、電源がきており、シャットダウンされてなければ、何らかのプログラムが実行されているように。
右図は原初のノイマン型モデルにおける割り込み処理の図です。通常の表世界で役立つプログラムが流れているのがP1状態です。ところがI/O動作 (P2,P3)をするときや電源異常の際のシャットダウン処理(P4)をするときには、表のプログラムを後回しにしてでも、優先的にP2〜P4状態のプログラムが動くようになっているのです。それはP1
プログラムの大海を航行する我々創造主船乗りは、さしずめP1〜P4の大きな捉え方をしておけば、我々の意識体験の旅にとって有用ではないかと思います。
世界線を慣性方向に通常はたどっているものとしましょう。しかし、別の世界線に乗り換える必要ができたとき、別のプログラムをディスクから探し出して自分の中にローディングしなくてはいけません。このとき監督者に要求が出され(スーパーバイザコール)、P2において検索と読み出しが行われ、P1に戻されるとメモリに収まったプログラムに制御を移します。このとき、彼の世界線は別のプログラムに変更されることになります。
このときの監督者をハイラーキーと考えるか、それとも自分の機能のひとつと考えるかは自由です。
では創造主である彼が突発的に死を迎えたとしましょう。
異常事態発生と捉えた場合、制御はP3に移ります。そこでは彼のプロセッサの機能を損なわないように、次の予備段階のプログラムが用意されています。中陰の手続きがちゃんと。
お花畑に出て、なつかしい匂いがしてきます。やがて彼はふらふらと水辺にやってきて、そこを渡ろうとするといったプログラムです。あるいは死者の書に書かれるようなプロセスをたどるのかも知れません。が、いずれもビジョンを与えるプログラムというわけですね。そこでも、インタラクティブにプログラムとの対話が進み、創造主が次をどうするか決めていくことになります。それはP1状態のふつうの生活においてと同じです。
最近の音信では、アセンションという事象があるようですね。あるいはUFOによる救済もしくは掲挙といったことも。
あっていいでしょう。ご安心ください。
というのも、人が想像できたこと、あるいは人類が予想しえたことはすでにプログラムとして存在しているからです。存在していなければ、想像すらもできないからです。
存在するプログラムの範囲がどの辺までであれ、可能性として実現はしうるのです。確率的にどうかという基準はあるかもしれませんが。
12. 邪神系(破壊系)はコンピューターウイルスの発信源という捉え方
掲題に表現しただけで、あっという間にクリアーになりましたでしょう。
ウイルス製造元と、システム開発側が、背反する組織であることは紛れもありません。むろんそこにも、両者はひとつだなどと言う人もあるでしょうが、そのときは唯一の神もしくは組織とは、エリートである秘密結社なんだろうなと推測できるでしょう。両方の側面を使い分けられるのは、秘教組織ぐらいのもの。そうなればシステム丸ごと胡散臭いものと認識できます。実際、マトリックスという映画はそれを前提にしてますよね。
つまり、唯一神の正邪の使い分けだとするなら、その唯一神は邪神だということになります。
いちおうここは、正と邪を区別しておきましょう。正はシステム開発者、運営者側で、邪は外部から妨害もしくは破壊を企てる犯罪者という対比になります。
あなたのWindowsマシンが防御機能を持たないで、今の時代のネット環境に曝されたら、早期にウイルス感染してしまうでしょう。
ウイルスは日進月歩していて、今まで何十万という種類に及びます。これらはシステムの脆弱性をついて、そこに寄生する形で入り込んできます。そして、中で増殖と破壊のコードを実行してさまざまな悪さをします。速度が遅くなる。誤動作する。I/O命令を無制限に実行してI/O機器をクラッシュさせる。メモリの領分を破壊しシステムダウンさせる。
これに対抗してアンチウイルスソフトを定期的に実行してウイルス駆除していたのが一昔前のことです。それでは致命的になりがちなので、アンチウイルスソフトを今実行しているソフトの隣に常駐させて、外部から情報が入ってくるたびにゲートでチェックするように、今ではなっています。この処理がまたたいへんなので、いきおいパソコンの処理性能が求められるようになっているという具合で、ウイルスをさほど気にすることのなかった頃に比べて、今のパソコンの実行時のメモリサイズも、流れるソフトのサイズも桁違いになっています。
いかに邪悪な意図がシステムにとって脅威になるか。この防衛のために世の中は進歩したとも言えますが、もし邪悪が皆無だったら、どれほどスリムでスムーズなシステム運営ができることでしょう。
同じことがこの世界にも言えます。文明を進歩させるために邪悪が必要だったとするなら、文明は最後に勝利した形で残されねばなりません。もし文明が滅んでしまえば、邪悪に滅ぼされたことになりますから、進歩は意味を持たなくなります。
ところがどう見ても、システムが重く、老廃物だらけになったがために、システムの土台に負担がかかりすぎて崩壊してしまうという事態になっています。邪悪はシステムの老化だけでなく、システムの土台すらもターゲットに入れているのです。
だから、システムを今までのままにしておいて、ウイルスを徹底駆除するとともに老廃物を除去し、脆弱性や運用していて脆弱になった部分を補修する方法を採るか、もしくは、システムを再インストール、それもバージョンアップしたものをインストールする方法を採るか、となるわけです。
この世の仕組み、流れもこれと似ています。
今の世の中の流れを見ていますと、世の中の進歩のために、邪悪も用いていた。正義だけでは、進歩も少なく面白みのない展開しか得られないだろうからです。しかし、邪悪の性質を甘く見ていた。勧善懲悪を適用できていたのは短期に終わり、邪悪が新種を生み出したのに対応できなくなった。
いつのまにか、世の為政者に邪悪はとりつき、それに騙されて善良な市民がついていき災難に遭遇するようなことが増えた。そして邪悪は少数でも、支配層ばかりに取り付くようになり、やがて市民を洗脳して、邪悪の種を撒き、いっそう世界を混迷化させた。
このような経過で、とうとう旧神話にいう黄泉の国の状態にまでなってしまったというわけです。
黄泉の国のステージとは、パソコンで言うなら、アンチウイルスソフトにまでウイルスが感染した状態とでも言いましょうか。そうなれば、ウイルスチェックは名ばかりのもので、すでにパソコンは風前の灯。システムダウンは不可避なので、強制的にシャットダウンさせて、まともなウイルスソフトで駆除するか、インストールからし直すかするしかなくなるわけです。
何とかソフトランディングさせて、今までの延長をきれいなものにしてやっていきたい。そう仰るのはおよそ保守的なお母さんがたでありましょう。
しかし、ここはいいですか。
お母さん方が、ババタリアンになってはいけませんよ。
ゾンビと化した旧来の社会システム。その旧弊は無尽蔵に報告されています。それを逐一精査して、あれを直しこれを直し。あのね。あなたはプログラマーしたことがないから、わからないんです。修正をかけてまっとうにすることが、どんなにたいへんな作業か。
そんなことして、暇つぶししてるつもりなら、おやんなさい。プログラマー的作業員はみないなくなりますから、どうぞおやんなさい。
三連徹四連徹、ざら。やってりゃ、脳みそ腐ります。
それより、一から新規に構築しなおしたほうが、どれほどすっきりするか。
どんな設計も、思いのままなんですから。まだ計画の段階ではね。
WindowsはもともとAppleのOSソフトの処理方法を真似て、設計も満足にいかないうちに追いつけ追い越せで無理した結果、途中で修正修正、毎日のようにいっぱい修正が出ています。それを追加すれば、ちょうど傷ついたたんこぶの上にまたたんこぶ乗せるようなもの。混み入ってくると予期せぬトラブルも起こしますよ。
LINUXなんて、どう使えばいいか知らないけど、オープンソースなこともあって、ウイルスにさほど関係しないみたいですね。しかも、シンプルで今のパソコン性能なら、どんだけ速いか。リコンパイルリアセンブル禁止を謳う隠蔽体質は、それ自体が邪悪にとって格好のターゲットになるんです。誰もが見ておかしいと思うところが把握できれば、光射すお白洲のようなもの。邪悪の入り込む余地もないでしょう。
これからの新世界はシンプル。進歩がどうこう言わない。邪悪がどこにもない。学校もなければ、試験も何にもない。太陽の光射す草原で、どうぞみなさん遊んでください。
そのような設計思想が最初にあれば、子供も憩えるテーマパークとなるのです。
今の世は、狡猾で獰猛な大人を対象にしたマッドマックスか、恐怖におののくお化け屋敷のテーマパークに成り果ててますよ。それだけ、この世の邪悪な支配神は、人気の翳りを焦っていたと言えないでしょうか。
13. せっかくだから、ゲーム性を楽しむこともまた一興
私は神だ。
なに、お前もそうか。
そうだ、今頃わかったか。
どういう名前の神だ。
マグマ大使だ。
そうか、私はウルトラマン太郎だ。
こちとらはセーラームーンよ。
おっ、後ろにもいつのまにか。
その横にいる私はタキシード仮面。
まてまて、私は七色仮面だ。
おれもまぜろ、ゴジラマツイだ。
ガッチャマンもいるぞ。
鉄人28号も。
そうか、これだけいれば、きっとコンコンマークにも勝てるだろう。
いや、やつらは一対一の勝負を求めてきている。最強のデビルマンを最初から投入するらしいぞ。
うーん、そんなルールを決めてくるとは、さすがGHQ並み。被占領惑星のつらいところだな。どうすればいいやら、うーん。
アイデアあり。リングの周りに、雪隠から肥を汲んできて撒いておくんじゃ。臭いものに蓋をしたがるやつらだから、掃除に気をとられて勝負に身が入らんだろう。その間に、チョップの連発で片付ける。
それって、なんかいいよなあ。よし、それでいくか。
こうして原発から肥は撒かれたのじゃ。
どうじゃ、神々の次元の取り組みの壮大なこと。
んなこと、ないやろ。
日々を深刻に生きておられるかたには、申し訳ないようなコントでした。
しかし、言下の局面を見れば、もっと気楽に生きたほうがいいような局面になっているような気もしませんか。
昔で言えば、末法の時代を憂えた人たちがすがった思想がありました。
念仏をひとつ唱えれば、極楽往生という思想。どんな文盲の人でも、文句さえ憶えていればよかったわけですから、その思想の功績には大きなものがあったろうと思います。ひどい時代だったようですから。
これからの時代は教養が邪魔して、そういう単純な手法ではなかなかうまくいきませんよね。強引に説き伏せて引き込む思想もいくつかあるようですが。
そんなときに、疑似科学的ではありながら、本質を突いた拙モデル概念のような統合思想(もはやこれは思想だ。芸術だ)に接したあなたは、スパルタンな教養を身につけたことになるでしょう。念仏では納得いかなくとも、何となく納得いきそうだし、まず、得した気分になるでしょう。それというのも、今は万民がコンピューターに接する時代になっているからで、恵まれた時代になったよなあと思ってもらえたら、あなたも私も幸せになれるんです。
この世は、そうとはなかなか悟られないように仕組まれたRPGゲームなんです。そこがシステム開発者の腕の見せ所だったんでしょう。
そこには夜があり、そして朝が訪れた。
ストーリーが設定されたんです。登場人物を楽しませるために。
初めはマリオのゲームも、悠長でのんびりと、手先の器用でない人も簡単にゴールに入れました。これ、はじめ人間の時代です。
それだけでは物足りないという人のためにフェーズ2が設けられました。今度は少し殺伐として、生き延びる工夫をしなくてはならない時代です。
さらにクリアーした人にフェーズ3,4,5・・・と困難化する時代が与えられていきました、とさ。
その程度でも、面白がる人が増えた。それを見て開発者は、もっとリアルに映像にのめりこませる工夫を施した。これは映画的な段階。しかし、それもうけた。が、人はまだ観客に過ぎない。そこで、全身全霊を映像システムに直結させて、臨場感を以て体感できるものにした。人の目は目が点になって、夢中になるようになった。これだ。開発者にんまり。人はすでに一観客ではなく、ゲームの中の主人公になりきっている。そこに追加すべきは、もう虜にすることしかない。
功過点数をつけて採点し、ゴール時の点数によって、次のゲームとして、今まで開発されたたくさんのソフトのいずれかにエントリーさせるようにした。品性の低い点数の人には、次は犬の人生とか。高い点数の人には神の人生とか。これで売れ残っていたくだらーんソフトがみんな完売した。
輪廻転生。みなさんは時系列的に行われていると思うでしょう。そうではないのです。過去世が未来だったという人もいるのです。いや、いるはずです。原理的にはね。(おして図ったようにして報告されてこないだけ)
なぜなら、プログラムは全部、リエントラントにできていて、徳川家康の人生(世界線)を別の人が体験してもいいんです。しかし、すべてインタラクティブですから、まったく同じ人生を歩むことはないでしょう。三成に敗れた家康をやるかも知れません。時空はあなたを創造主として、選択的に展開していくのですから。ただそこには元のプログラムがあって、選択的に関係するサブプログラムがあなたのものとなるのです。
霊能者からこんなこと言われた人がいるでしょう。
「あなたは過去世がクレオパトラだったことがある」
大丈夫です。Aという霊能者の見立てはBという人に対して正確に言い当てているのです。
しかし、Cという霊能者はDという人に対して、同じことを正確に言っていたりするのです。
こうして、我も我もクレオパトラだったと仰る。はい。ぜんぶ正解。
ほら、そこのおばあちゃん、あなたもクレオパトラだった可能性、ありますよ。
くっくっくっ、ばかおっしゃい。こんなしわくちゃばあちゃんつかまえて、なに言うの。
ご存知、キミマロバージョンでいってみました。
みんな自分たちの中に霊魂が宿っていて、永遠の命だと聞いているよね。
その良し悪しは別として、そこまですごいものなら、もっと何かあってもおかしくないと思わないかい?
それがあるのさ。
君たちにとって、まったく聞き及んだことのない話。インドの聖者からもこんな話は聞けないだろう。知ってないだろうし、知っていても、そんなこと言って何になるとしか思っていないし、表現するための背景になる知識がそもそも君たちに備わっておらず、意味が掴めなかっただろうから、話すわけにもいかなかっただろう。
ところが、いまやいい時代になった。最先端技術をモデルに使うことができる。その原理が多少なりともわかれば、すっと腑に落ちるから、とてもいい時代と言えるんだ。
しかし、時間が残り少ないのが惜しいよな。
いいか。千載一遇のチャンスだぞ。ほんとうなら100ハーまでいかなきゃ話さないことだが、時間が少ないかもしれないから、ここでハーしちゃうことにした。幸運だぞ、君たちは。
さて、今まででこの超宇宙の仕組みと時空が構造的にどうなっているか、教えてきた。およそ頭の中で理解出来たろう。タイターのたどった経路もわかってるよな。わかってなきゃ、見直すんだぞ。
14. 私は森野奥人の世界線をプレイバックによってほぼ総なめしてきた (まだどれほどあるかは知れないけど)
一言、言っておくが、君たちのすべてがすべてそうだと言うつもりはない。
私はこの男の世界線にレコード針を置く前に、主催者との契約があった。そこまではみんなもそうだろう。違う者もいるかも知れんが。
そのときにまったく気がつかず、後で気がついたんだが、森野奥人の体験にあたってプレミアム契約が付いていたんだよ。
簡単に言えば、ふつうの凡人の体験の場合はおおよそ、インタラクティブに進んでいけば、途中で後戻りが利かない。彼は一意に世界線(人生)を確定していって、ゲームセットする。彼のたどった道は一本だ。
ところが、プレミアム付きの場合は、途中で分岐し去ったうちの、主だったパラレルワールドに、分岐した時点までさかのぼって、プレイバックできるんだ。
この森野奥人の人生は、うまくいった先は、この世界の救世主になる宿命がプログラムされている。だから、この男の人生ソフトを実行したがる者はみんな、それが楽しみなんだ。そのために、主催者はこのソフトにプレイバック権をつけて、主たる展開のすべてを堪能できるようになっている。
プレイバック権つき動作が入るのは、奥人がその世界線の末端で死んだときだ。つまりその時点でゲームセットだな、ふつうは。
ところが、プレイバックして、極近の主たる分岐点まで戻ることになる。
いやあ、私にとっては、これはいささか不都合だった。魑魅魍魎の変な世界に来たことがわかった時点で、さっさと切り上げたかったんだ。ところがプレイバックが自動的に起きるから、まあうんざりするほどこの世とつき合わされることになった。知らずにテーマパークなんかに、のこのこやってくるもんじゃないぞ。
君たちは、もしかしたらデジャビューなんてのを知ってるかな。けっこうそんな経験した人もいるらしいな。この主人公の奥人は、単なる超知覚のひとつだろうと思ってたみたいだが、実はこれが前のチェックポイントに戻ったときに起きる既視感だったのさ。
私はよく、人の世界線のことを列車にたとえたよな。列車はそれなりにサイズがある。世界線のレールを戻したときに、どうしてもチェックポイントの少し前からはじめなきゃならない。そのときに、過去にいちどたどった記憶との照合がとれて、あれえ?と感じたわけなんだ。
だから、デジャビューの光景そのものに、大して意味はない。ただその直後にポイントがあって、パラレルワールドに分岐していたんだなとわかる程度のことなんだ。
今やっと、奥人の本命線を実行しているみたいなんだが(それらしくなってきたからな)、まだわからねえ。でも、いいんだよ。駄目でおっちんじまったら、またプレイバックだ。
本命線がどんなだかは、噂を聞いてきただけに、知ってるんだろうけど、この世に来た時点でみんな忘れちまったよ。ま、いずれ思い出すだろうし、きっといずれやらせてくれるだろう。それだけお預けなんてこた、ねえだろうよ。
そうさ、魂のオレはこんなに下種さ。だからこそ、救世主さまとやらを体験して、ちったあ品格を上げてやろうと思ってんじゃないか。はっはっは。
未だこの品性では、どうもこの世界線もボツかも知れんなあ。
15. 記憶はプログラムごとに独立
今までのハー論で言ってなかったことがありました。独立して存在する記憶領域のことです。
前にP1〜P4状態で動くプロセッサの話をしましたが、その場合もそうですが、それぞれの管轄する記憶領域はそれぞれ異なっています。
P1状態で動いている目的プログラムのAとBの二つが同時に走っていたとしても、A専用の記憶とB専用の記憶は互いに侵食しあわないようになっていますよね。意図されずに侵犯があればメモリエラーでシステムダウンしたりしますから。
それと同様のことが、たとえば霊の意識の記憶は顕在意識からでは読めないようになっていたりします。だから、自分とは何ぞやといったことに、思いがいたせなくなっているのも無理ないと言えます。むろんどこにも例外はあって、まれに導通のある人もいるようですが。
さて、私がデジャビューという感覚の意図する「プレイバック」を嫌がる理由は、せっかく辿ったジ・エンドまでの経過にあった記憶を、その時点までまったく失うからなんです。
パソコンで、システム復元という機能がありますよね。そう。プレイバックを理解するには、システム復元がいちばんいいモデルになるでしょう。システムが不具合になって、システムダウン手前までいっているようなとき、前のチェックポイントまでシステムを復元すると具合がよくなるという、あれです。その代わり、その期間に蓄えた記憶もインストールソフトもみんな失います。ちょうどそのような感じです。
コンピューターでありうることは、マトリックスゲーム世界に意識を置く我々にもありうるということ、憶えておいたらためになりますよ。モデル化とは相似像を見抜くってことです。
これが人の場合、まったく失ったわけではなく、霊意識のほうが記憶しているのですが、今度は顕在意識から霊の記憶に滅多にアクセスできないために、ほとんどわからずにいるということなんです。
ただ、よほど頭脳をリラックスさせたα波の状態のいいときに、ちらっと垣間見ることができたりして、なにかどこかにあった懐かしい記憶として蘇ることがあります。あるいは、夢の中で、夢見の身体(幽体)を介して記憶の呼び出しができたりします。しかし、今度は夢見の身体の記憶と顕在意識の間で、記憶の受け渡しの苦労があって、すぐに忘れてしまい、ああ、夢は荒唐無稽だが何かストーリーがあったよな、で済まされてしまいます。
これで都合が悪いのが、私の救世主としての本命線は、これからのことなのか、それとももう経験済みなのかが、現時点では掴めないということなんです。
もしかして、昨日デジャビューがあったから、あの時点で向こうに行った世界線でもしかしたら救世主してたかもしれませんよね。こっちは何かいびつな成り行き。どうも直感的にもよろしいように思いません。
とすれば、私の記憶(顕在意識の)にはないけれど、もう遠い日の花火になってしまったのか、という恐ろしくも儚い現実の可能性に直面するわけです。
何だ。残されたのは破れ羽根キリギリスの人生ばかりかよお。
いいや、あんたはどこかでやり遂げたんだよ。と誰かが。
首傾げつつ、うん、ま、そうかな。と自分的には、楽天的にやってくしかないじゃない。早く、全部終わってくれと心でつぶやきながら。
霊意識になったとき、検証すればいいからね。と誰かが。
よせやい。もう頭の中、破れルーチンでごちゃごちゃだい。検証作業放棄してさっさと家に帰ります。
そして一言捨てぜりふ。
間違っても、二度とこんなゲーセン来るもんかい。
16. 人生は線香花火の如し
http://higezaru.blog25.fc2.com/blog-entry-192.html
から写真をお借りしました。(右上)
このように線香花火の光跡は、ちょうど人生の世界線に似ています。
それは樹木の枝分かれしていく様にも似ています。
あるいは、人の肺の、気管支から末端の肺胞に至るまでの空気の流路にも似ています。
開始は生まれたての一本の赤子から始まり、意思による世界線の選択によって分岐していくわけですが、もともとのプログラムは時間軸に沿って、任意の時点における分岐をあらかじめ用意しているところの、線香花火のような構造をしているのです。ぱっとプログラムの全貌を設計書に描いたら線香花火のようになったと解釈したらいいでしょう。
さよう。人の人生は、線香花火の全体写像の光源から、枝分かれしていくルートを一意に求め、確定していく作業なのです。火花が末端で消えたとき、人は一生を終えるというわけです。長距離が予定されたルートもあります。すぐさま消えてしまう短命のルートもあります。あるいは団子のようになってボトンと地面に落ちて消える場合もあるでしょう。
人生は線香花火。
こう書けば、命とは儚いものという思いがしますし、恋は遠い日の花火、のように哀愁すら漂ってくるようではありませんか。
私のように、プレミアム付でやっている者も、全体像を見てみれば、神仏の手によって灯されるほんの数秒間のご愛嬌なのかも知れません。
そんなとき、ちょっと跳ね返ってみて、あちちちと言わせてみたいではないですか。
17. モデルで仮定して神(大宇宙)を象徴し、神(大宇宙)の子孫(人、コンピューター)について、大輪の話を咲かせよう
>Q:仮定、とは何ですか
A:・の象徴 ・の子孫 大輪咲かそう
はい。ハー論のタイトルになりました。
>●出品=出場
はい。これを過去にしましたが、大輪開くまで、これからもエントリーし続けます。
In deepさんが昨今取り上げた記事に、DNAの知られざる世界がありました。
その中の95%以上が遺伝情報に関わらない未知のジャンク部分だということです。それをロシアはすごいですね。その中からとてつもないものを見つけつつあるようです。その点亜米利加は先行して進んでいることでしょうが、すべて秘密にして邪悪な目的にしか使わない卑怯組織のお国ですから、どんなものが出されてきても一般向けの情報ならばマユツバにしとくべきでしょう。
我々素人はいいですね。総合的に物事が捉えられますから。
私はまだ若い頃に、人間には霊魂があって、霊体と幽体に分かれているといった情報に接しました。今でも大同小異、同じようなイメージでいます。
霊体はいっそうわかりにくいので、幽体のほうの性質だけにしときますが、どうやらこれに中国漢方では経絡という異界の神経伝達系を設定しているようですね。というのも、これは通常の神経細胞で成り立っているわけではなく、目に見えないところの、ただ電位的に特異さを醸す経路であるからです。
しかも、中国四千年の伝統医療として用いられてきた経緯が、ふつうだと与えられがちな非科学的というそしりを免れさせているようです。ところが西洋医学つまり科学の側からはまじめに研究されることはありません。サイ科学という不真面目と見られがちな異端研究者グループでかろうじてフォローしている現状ですね。ちょうど自民党に河野議員などがいて、緩衝材の役をしてるのと似ています。が、主流からすれば鼻にもつかない、どうでもいい存在だったりします。
そんなところに1983年、拙モデル概念は登場(出品、出場)したんです。研究論文よろしく英語でシノプシス書きましたよ。それが功を奏したのか、秘教組織の目に留まり、彼らの優秀な知識体系に組み込まれたのかも知れません。のちに1999年、映画マトリックスとして、神の側VS救世主側のスリルとサスペンスのバイオレンスアクションと、大衆への虜囚的絶望観念の植え付けのために用いられることになった、かも。とにかく大衆向けには、混ぜものだらけになっているということ。峻別智が要求されるところです。
さて、話を元に戻し、私がまだ若い頃、幽体とDNAのリンクを考えたんです。DNAがなぜ人体の内部組織の配置さえも認識できるのか。ふつう、単なる偶発物理学の延長上では想像もつかないことでしょう。どうです? 難しくなったら、またぞろ、神がなされていることだと、某宗教に逃げ込みますか?
馬科学者と鹿宗教家の二面性を発揮しないでくださいよ。ねえ、専門家さん。
DNAが体内電流によって励起されて生体磁場を発生させている。その統合されたものが幽体ではないのか、と当時の私は考えたのです。こんなこと、ちょっと頭ひねれば感じ取れるはずですよね。
のちに、カスタネダのドン・ファンシリーズを読んだとき、ドンの教えの中に、"人間の鋳型"というのがあって、それは原人とでもいうべき神々しさのもので、テレポートなどにも重要な役割を果たしているとのことだったんで、びっくりしたのです。
人はまれに神々しい光に満ちた人格的存在に触れることがあるとき、ドンによれば、それは人間の鋳型を"見た"のだといいます。その場合は幽体のさらに内にある霊体のほうに接したのだと、私は思いますけどね。
しかし、鋳型という表現は、みごとに人体の五臓六腑から何から何までの配列を監督している有様を想像させて、うれしいほどではありませんか。
鋳型が何らかの都合で形成されなければ(磁場を発生させるべきDNAが異常であったり、DNAは正常でも細胞内物質の異常で電流がまともでなかったりすれば)、葡萄状奇態という死産のケースになったりしないでしょうか。配列を監督矯正する管理者がいないようなものだからです。
が、そのケースとは今の偶発科学者ならではの落ち着き先なのです。彼らにはその程度のオツムしかない。というのも、異界を断固として認めないから、前に進めないのです。面倒な方程式のほうへ逃げ込むことばかりしていて、おおかたの彼らのオツムの中はノイズの海状態のはずなんです。
いいですか。彼らのことをバタリアンと言います。みなさんはオバタリアン。その中の特に頑迷なかたをババタリアンと言いますね。
バタリアンが作り出すものは、原発のような、未来を見据えたことのない、有害なものばかりなんです。理論もみんな有害。人間の都合のいいことばかり言ってるようで、最後はそれに背かれるのが人類。この構図、よく憶えといてください。バタリアンの行き着く先は、すべてが葡萄状奇態のようなもの。万事、そうなりますから。
この秘儀のもうひとつ深いところを言っておくよ。バタリアンはそうならないように願ったけど、バタリアンにされちゃったの。誰にって?神様のグループによってですよ。グループ=群類=グル。ここにも邪神が関与してんだよ。だから、そんなもんの占領下にあって、まともなことができるなどという幻想は捨てることだ。
さて、話を元に戻して、私は若い頃、霊能者の話にも耳を傾けましたよ。過去世の記憶。あるいは事件の経緯をビジュアルに見る霊能者のいること。それは、この空間に事件が、あるいは過去世が、記憶されているからだろう。この空間には、たえず書き込みがなされる仕組みがあるに違いない。それをしているのは何なのか。
ちょうどDNAが励起して幽体をあらしめているのと同様に、きっと物質や心質(想念)が励起されて、空間に記憶のパターンを刻み込んでいるのかも知れない、と。
それで、当時、造語で"恒常空間埋蔵法"なる原理があるに違いないと思ったようなことでした。(高校時代かな)
つまり、この宇宙空間も、大脳皮質とよく似た性質を持っていると思ったんです。のちに、人間は小宇宙だなんて、先哲の話を聞いて、おおーっと感嘆しましたね。この先哲の話はみなさんも聞き知っておられるでしょう。そしてきっと、人間は神の似姿に造られたと同じ意味合いを持たれたのではなかったですか。
私はそんな宗教と絡めることはしませんでしたよ。もろに科学的に考えましたもん。的外れかどうかは別として。
その後、社会に出て、公務員になろうかと思ったけど、何か花形と言われてた情報処理産業のほうに行っちゃったんですね。苦労しに行ったわけです。結果は能力が追いつかず、リストラの言葉もない時代にリストラされたわけでした。その点、大企業は対処法を当時から知っていて、今だったらもっとやり方も洗練されかつ残酷化していることと思います。私はまだしもいい時代にサヨナラできてよかったんです。
ところが、知りえた知識が成果になりました。この残酷な世界の姿をモデルとして捉えることができたわけですから。コンピューター。この冷酷非道な化け物。そんな中に私は居る。みじめすぎてうれしくなりましたよ、あの当時。
神の存在を信じていました。が、それゆえに逆に神に対しては腹立ててばかりいました。あるとき、自転車に乗ってる最中に、雨が降り出してきてスコールみたいになったんです。そのときおりあしく、よくないことが続いて起きてたため、ついに怒鳴りながら、天に唾を吐いたのです。するとそれはみごとに顔に戻ってきて、諺どおりとなったわけでした。
しかし、どうです。ついに神の正体を、神の冷酷さの正体を明らかにしました。にんまりと溜飲を下ろしたことは言うまでもありません。
花形産業に勤めていた頃のこと。心がすさみがちだったのも、ドツボにいたからかと思ってます。
私が初めて関わったコンピューターはHITAC8200で、タイターが求めていたIBM5100、IBM5200ときて、その少し後に出てきた機種ではなかったでしたか。動作原理を理解するには適切でしたね。
18. 信号と反応の連鎖の陰に、創造神の設計思想が垣間見える
まず、前回の記事でずいぶんと失礼があったかと思うので、お詫びかたがた。
バタリアンとオバタリアンはぜんぜん違いますからね。
バタリアンは名は体を顕すのとおり、場当たり(バアタリ)的なアンすなわち、利己主義者のことを言うんです。
だから、これは純然たる日本語なの。ヤマトコトバといいますか。
オバタリアンは、生は足りアンで、命の充足のことを真っ先に考える利己主義者(やっぱりこれがつくか)のこと。
だから、いざというときは誰彼押しのけてでも、わが子可愛いとなったりするってことね。
しかし、命のこと考えてることがすごいし、アンをanじゃなくて案にすれば、命の大切さをみんなで考えていこうというアイデアに変わってしまうんです。
だから、未来の期待のホープは、そう、みなさんのことだからね。
あるネット界だけの有名人は、未来は女性系社会になると断言してますよ。私もそれでいいと思います。
新時代は女性系社会。母系社会とも言いますかね。そうでなかったら、存続可能な世界はできないんです。
あの何種類もの宇宙人と親交の深かったSさんも言ってます。宇宙人はみんな女なんだと。男の姿してても、あれついてないんだって。
地球に何で男が居るのか。それはおうちゃくな宇宙人一派が、地球開拓と防衛のため、そして何より奉仕させるために作り出したといいます。ところがやっぱり肉体労働に特化した種類ですから、この地球環境においては優位性がある。覇権を主張しだして、社会構造が逆転してしまったというんですね。
宇宙に乗り出す文明まで作るなら、命のことをよく知っている女系でなくてはならないんです。男の文明はみんな外に出る前に滅んでます。今回は知らんですよ。もしかしたら、うまくいくまれなケースかも知れませんがね。
長々といいこと書きました。これみんなお世辞ですから。
さて、そろそろ退出を。
違った。本論が欠けてはいけませんね。
もう40年も前の生物学者の研究によると、人間はどうかはまだ当時においてこれからのこととして、凡そ動物は昆虫も含めてですが、彼らの行動はすべて、信号と反応の連鎖によって成り立っているということを突き止めてます。
学者、それも過去の学者の言うことだから、本気にしなくていいんですが、私にとっては、ほん都合のいい学説だったんです。
あの小鳥たちの愛情あふれる親子のしぐさ、献身的なオスの求愛行動、外敵の認識の仕方と防御反応、みんな信号と反応の連鎖にすぎないと結論したのです。そこには人が抱くような愛とか悲しみとかの感情は介在してないんだと。つまり、原因と結果の連鎖であって、結果がまた原因になって次の結果を生むといったことですね。それがただ淡々と外界には展開しているのだというのです。
もう少し突っ込むなら、DNAに信号と反応の手続きが記憶されていて、それが指令して小鳥に次の行動を取らせているというわけです。子を守る親鳥の無私の感動的行動。それを感動して見るのは人間だけ。彼らはある危険信号を認識して、ある信号を持つものに体当たりしていったにすぎない。車に轢かれて手足を痙攣させている狸がいる。それを見て、苦しいだろうな、彼の脳裏には親を待つ子狸のことが口惜しさの中に写っているに違いない。それは人間のする想像にすぎない。こうしてみれば、なんと言う不謹慎な非人間的学説を造るものよと腹も立つことでしょう。そう、おそらくは人間の作る学説なんてものは、嘘八百であって、すべて覆るに違いないんですが、そのころの私には、とてもいいものに見えたんです。
DNAは神の言語表現の具体化したものです。それが強制して彼らの行動を促しているとすれば。つまり、この世界は総じて神の言語表現とみなしてもいいのではないかと、私は感じたんです。
それが拙モデル概念の基盤にはある。だから、一見すると冷酷無比なものとなるんです。間違えれば、殺戮するに罪の意識なくやってしまえるゴミクズを造る可能性がある。卑怯組織なんかは、その方面を強調しますからね。
しかし、拙モデル概念における宇宙プログラムには、想像や心理的動きまでもあらかじめプログラムされているとしています。
つまり、設計者(神)が人間の観測と認識のために、生き物の愛情表現などを与えて、それを感動的に見ることができるように作っているわけです。その設計者の意図には善良なものしか感じられないはずでしょう。ただ神の被造物を愛でてほしいという。
それゆえ、この宇宙のプログラムを基本的に造った者は、信頼の置ける者に違いないと分かるんです。
ではなぜ今のようなおかしな世界になってしまったのか。
私は、原初の姿を創造した太古神と外来の邪悪な神という対比を設けてストーリーにしました。
この世界は邪神によって後天的に乗っ取られてしまった。
国祖引退神話というものが世界各国にあります。引退後、世界はおおよそ闇に包まれたと伝えます。
エジプト神話で言えば、オシリスを暗殺したセト。ギリシャでは黄金時代を治世したクロノスを殺害したゼウス。
日本では非公式ではあるものの、国常立尊と天照天皇を封殺した邪神たち。公式には謀反人は処罰されて事なきをえたように、しつらえられていますが。
ま、今の国情を打開できるのが、天皇さま以外にはあるまいと思われるので、ここでは深く申しません。(次には申すかもよ)
三度目の玉音放送は、はるかに感動的なお言葉になると思います。(二度目は東日本大地震と大津波のときでした)
きっと資産家たちは復興資金を涙ながらに出してくれることでしょう。(終戦当時を思い出しましょう)
また言いっぱなししちゃいました。
聞きっぱなしに、してくれるかな。
19. 新時代は魂の故郷にいて博物館から旧時代プログラムを閲覧して学ぶ
旧時代のみなさんはたいへんなことです。
古来言われているように、時系列的な輪廻転生を繰り返し、進化という謎の目的を達成していくわけですから。
神縁をたまたま得て順調で幸福な人生を送るかと思えば、守護をなくして不幸の極みをあじあわねばならない人生があったり。
目に見えない摂理を恐れ敬いながら暮らすことを余儀なくされていく人ばかりになります。
それでもよいというのがこれまででした。
新時代は解放の時代ですから、解放された者たちの自由選択が許されることになります。
旧時代も、むろん新時代も、すべて宇宙の開始から終わりまで、神の言語プログラムに拠っていることがわかっていますから、その範囲内でならどのような応用形態も工夫されることでしょう。
旧時代には、人々は受動的に課題を持ったひとつの人生をあてがわれ、それが終われば功過が採点され、差配神の指図で次の輪廻があてがわれるわけでした。
新時代においては、学府において、旧時代のプログラムを対象にして学究的に閲覧するという形態になります。
研究課題は自由に設定でき、学び終えたと自分で判断した時点でアウトプットを出し、学府が妥当と認めたら、その道の専門家となり新時代のさまざまな分野で活躍するようになります。
むろん、新時代において旧時代を学ぼうとするのは少数で、人心の脆弱性などの研究を通じて、高次の世界におけるセキュリティの達成に寄与したいという人たちがもっぱらです。
私もそのようなひとりであり、故郷に邪悪の侵入する余地を与えないことを目的とするファイアーウォール部門に属しています。
以上は、この今の世界にアクセスする者に、大きく二種類あるということを示す話でした。
つまり、新時代を未来とするなら、未来からこの過去の時代にやってきている者もいると考えてもらえばいいでしょう。
なにもタイムマシンを開発せずとも、霊それ自体が全宇宙のプログラムの任意の場所にアクセスできるUFOのようなものだからです。
しかしそれは、一定のルールによってのみ許されていることです。特に旧時代プログラムに対しては、人によっては混乱することもあって、学府からはガイド教師がつき、チェック機能を果たしています。
いっぽう普通のシーケンスな流れの中に漂流するかのような人々がやはり多いです。
その彼らに対して、何ができるわけでもないのが新時代からエントリーした者なんです。実に孤独なものです。満足に交流できるのが、やはり新時代からの者ばかりになりますから。
私は、人心研究の一環で、日本神話を研究課題にしました。二つ前の過去世は本居宣長でした。といっても、旧時代を生きた宣長の人生の世界線にエントリーさせてもらったわけです。そのもっと前には太安万侶でした。これもむろんエントリーによってです。えみこのようなハッタリを言うつもりは毛頭ありません。
その一連の経験を通して、通常では見つけられないような邪悪の流れのあるのも、見て取ることができました。これはもしかすると新時代にも間隙を突いて入ってくる恐れがあると思えるものでした。私はこの経験が終われば、この恐れの部分を含め、研究のアウトプットとして上提するつもりです。
私は、50歳までで人生を終えるはずでした。研究に欠かせない、見つけるべきものを見つけたからです。ところが、その成果を先買いして、旧時代から新時代への移行を司る神々からの要請がかかりました。すなわち、新神話制作による協力です。
プレイバックのプレミアムつきでやってきたのも、見つけるものに対して細大漏らさぬためでしたが、この機能は新神話の見届けにも適用できることとなりました。むろん、奥人の網羅する世界線の限界までしか行けませんが、これもまた面白いかと思います。いやあ、面白くは決してありませんよ。だって、この世の中見てたら、うんざりしますから。この研究を最後に、旧時代プログラムとは金輪際おさらばするつもりです。
そう思えば、旧時代を生きる人たちのほうが、迫真性の中で生きられて、恵まれてるのでしょう。しかし、その彼らが新時代人になるのも間もなくです。
20. いちど来た限りは、皿洗いでもなんでも奉公していきましょう
「世界はブラフマの見た夢。彼は善悪混交のストーリーを組み立ててその中で夢を見ている」
これはちょっと勉強した人だったら知ってる噂ですよね。
だからといって、今現にこの世界に来ているあなたに、そんな悟ったようなことが言えると思いますか?
毎日毎時、木の葉のように彷徨い暮らしてるあなたは、目の前のことで手一杯でしょ。アリンコがどうして雲の上のことを思いながら暮らせるの。それと同じ。大それたことができる立場じゃないってことなんです。
いや、思うのは自由ですけど、すぐに現実に引き戻されてしまうでしょ。こっちがあなたの仕事なんだよ、と。むろん、空想にふけってばかりいた私のようなのもいますよ。しかし、まだリストラという言葉のない時代にリストラされちゃいました。だから、分相応にしてるのがよろしいようです。
何も考えないでいこうというのも、仕事してることにならないんでしょう。
善悪の局面に際しては、善に就こうとすべきでしょう。正義と邪悪のせめぎあっている局面では、正義感に燃えるのがほんとうでしょう。魂の故郷に根ざしているのなら、ひとりでにそうなります。
>Q:誇り とは何ですか
(Q吉田松陰さんどうされていますか
・・→A歩んだ道のりに誇り )
A:・の活躍見たい ・へエール メッセージ
かつて正義に燃えた先達がいました。彼はあちらで後世の子弟たちの正義感あふれる活躍を見て、エールを送っておられるのでしょう。この交信は彼からのメッセージですね。
が、魂の故郷から離れたく思ってる人は、邪悪のほうを選びます。ホログラムの干渉縞の暗いところ(魔の巣)を目指してるわけですね。これはテスターとしての創造主の自由だから。
むろん仕事と割り切って向かってる人もたくさんいます。相当にスパルタンでなくては務まりません。ゴイムと呼ばれる人たちより数段格が上。いわばピエロみたいな熟練者です。事故のあった原発に作業員でいくようなものだから、決死の覚悟です。死が決まってるってことね。だって、火の鳥に焼却されるわけですから。
いっぽう、気楽なこんな私でも観光目的だけで来れるわけないんです。仕事といっては何なんですが、研究目的だったんですからね。ところが、いまは決死隊なみの仕事までしています。猫のブーなんかはフーの応援ついでに観光しにきたつもりが、みんな予定が狂って、いちばん苦労してるからね。肝心のフーはさっさと引き上げてます。
この世界は、予定通りいかずでほんとたいへん。
しかし、これは言えます。あらかじめ決まったレールの上をあなたは歩いてるということ。そうなってるのをあなたは光を当てて確認してるわけなんです。今あるあなたが判断して進路を選び取ってるように見えるけど、ほとんどの場合はそこに曲がりくねったようなレールがあっただけなんです。
そりゃ、願いや思いによって慣性方向を変化するようなパラレルワールドに移行する場合もたくさんあります。しかし、分岐点はわりあい遅れて出てくるものですし、すぐにあるということもありうるけど、よほど強い情念が要るものです。
だからここは、あなたが今した判断が正しかったか間違ってたかなど、思い悩むことではないのです。
神の化身サイババさんも言ってます。誰も私に知られることなく、心ひとつ動かすことはできない、と。あるいは、人はこっけいなあやつり人形だ、と。
そりゃ、木の葉に揺られるようなレールに乗っかってれば、木の葉のように揺られます。それを結果がよかったとかわるかったとか、後で悩むことだったのかどうかですね。あやつり人形が、ありゃしまった、勝手に右手が動いたよ、困ったことをしてしまった、なんて思いますか。
しかし、こんな横着はいけませんよ。勝手に右手が動いて、隣の人を刺しちゃったよ、私は操られてたので知りません、なんてお白洲で申し立てても、市中引き回しの上、獄門打ち首になるだけです。彼は打ち首になるレールに乗っかってただけだったとなりますからね。
捉え方、わかりましたか。
木っ葉人生、風任せ。いい風吹いたら帆を揚げて、雲行きわるけりゃ帆を下ろす。あとは、きっちり心の隅まで監督してると豪語するお方に責任持ってもらえばいい。ただし、まじめにしなくちゃ、いけません。少なくとも、監督に恥をかかせないようにしようという心構えがあってほしいです。そうすれば、守護は万全。監督をためしてみてやれなんてちっとでも考えたら、お前いい度胸してるじゃねえか、と、ぽーんと左遷されちゃいますよ。おかしなパラレルワールドに。だって、監督はヤクザ上がりなんだから。
あっ。す、すんません監督。つい口がすべってバラしちゃいました。
プロセッサである創造主たちは動力源がつながっている限りいつまでもプログラムを実行します。パソコンであるなら、電源がきており、シャットダウンされてなければ、何らかのプログラムが実行されているように。
右図は原初のノイマン型モデルにおける割り込み処理の図です。通常の表世界で役立つプログラムが流れているのがP1状態です。ところがI/O動作 (P2,P3)をするときや電源異常の際のシャットダウン処理(P4)をするときには、表のプログラムを後回しにしてでも、優先的にP2〜P4状態のプログラムが動くようになっているのです。それはP1
プログラムの大海を航行する我々創造主船乗りは、さしずめP1〜P4の大きな捉え方をしておけば、我々の意識体験の旅にとって有用ではないかと思います。
世界線を慣性方向に通常はたどっているものとしましょう。しかし、別の世界線に乗り換える必要ができたとき、別のプログラムをディスクから探し出して自分の中にローディングしなくてはいけません。このとき監督者に要求が出され(スーパーバイザコール)、P2において検索と読み出しが行われ、P1に戻されるとメモリに収まったプログラムに制御を移します。このとき、彼の世界線は別のプログラムに変更されることになります。
このときの監督者をハイラーキーと考えるか、それとも自分の機能のひとつと考えるかは自由です。
では創造主である彼が突発的に死を迎えたとしましょう。
異常事態発生と捉えた場合、制御はP3に移ります。そこでは彼のプロセッサの機能を損なわないように、次の予備段階のプログラムが用意されています。中陰の手続きがちゃんと。
お花畑に出て、なつかしい匂いがしてきます。やがて彼はふらふらと水辺にやってきて、そこを渡ろうとするといったプログラムです。あるいは死者の書に書かれるようなプロセスをたどるのかも知れません。が、いずれもビジョンを与えるプログラムというわけですね。そこでも、インタラクティブにプログラムとの対話が進み、創造主が次をどうするか決めていくことになります。それはP1状態のふつうの生活においてと同じです。
最近の音信では、アセンションという事象があるようですね。あるいはUFOによる救済もしくは掲挙といったことも。
あっていいでしょう。ご安心ください。
というのも、人が想像できたこと、あるいは人類が予想しえたことはすでにプログラムとして存在しているからです。存在していなければ、想像すらもできないからです。
存在するプログラムの範囲がどの辺までであれ、可能性として実現はしうるのです。確率的にどうかという基準はあるかもしれませんが。
12. 邪神系(破壊系)はコンピューターウイルスの発信源という捉え方
掲題に表現しただけで、あっという間にクリアーになりましたでしょう。
ウイルス製造元と、システム開発側が、背反する組織であることは紛れもありません。むろんそこにも、両者はひとつだなどと言う人もあるでしょうが、そのときは唯一の神もしくは組織とは、エリートである秘密結社なんだろうなと推測できるでしょう。両方の側面を使い分けられるのは、秘教組織ぐらいのもの。そうなればシステム丸ごと胡散臭いものと認識できます。実際、マトリックスという映画はそれを前提にしてますよね。
つまり、唯一神の正邪の使い分けだとするなら、その唯一神は邪神だということになります。
いちおうここは、正と邪を区別しておきましょう。正はシステム開発者、運営者側で、邪は外部から妨害もしくは破壊を企てる犯罪者という対比になります。
あなたのWindowsマシンが防御機能を持たないで、今の時代のネット環境に曝されたら、早期にウイルス感染してしまうでしょう。
ウイルスは日進月歩していて、今まで何十万という種類に及びます。これらはシステムの脆弱性をついて、そこに寄生する形で入り込んできます。そして、中で増殖と破壊のコードを実行してさまざまな悪さをします。速度が遅くなる。誤動作する。I/O命令を無制限に実行してI/O機器をクラッシュさせる。メモリの領分を破壊しシステムダウンさせる。
これに対抗してアンチウイルスソフトを定期的に実行してウイルス駆除していたのが一昔前のことです。それでは致命的になりがちなので、アンチウイルスソフトを今実行しているソフトの隣に常駐させて、外部から情報が入ってくるたびにゲートでチェックするように、今ではなっています。この処理がまたたいへんなので、いきおいパソコンの処理性能が求められるようになっているという具合で、ウイルスをさほど気にすることのなかった頃に比べて、今のパソコンの実行時のメモリサイズも、流れるソフトのサイズも桁違いになっています。
いかに邪悪な意図がシステムにとって脅威になるか。この防衛のために世の中は進歩したとも言えますが、もし邪悪が皆無だったら、どれほどスリムでスムーズなシステム運営ができることでしょう。
同じことがこの世界にも言えます。文明を進歩させるために邪悪が必要だったとするなら、文明は最後に勝利した形で残されねばなりません。もし文明が滅んでしまえば、邪悪に滅ぼされたことになりますから、進歩は意味を持たなくなります。
ところがどう見ても、システムが重く、老廃物だらけになったがために、システムの土台に負担がかかりすぎて崩壊してしまうという事態になっています。邪悪はシステムの老化だけでなく、システムの土台すらもターゲットに入れているのです。
だから、システムを今までのままにしておいて、ウイルスを徹底駆除するとともに老廃物を除去し、脆弱性や運用していて脆弱になった部分を補修する方法を採るか、もしくは、システムを再インストール、それもバージョンアップしたものをインストールする方法を採るか、となるわけです。
この世の仕組み、流れもこれと似ています。
今の世の中の流れを見ていますと、世の中の進歩のために、邪悪も用いていた。正義だけでは、進歩も少なく面白みのない展開しか得られないだろうからです。しかし、邪悪の性質を甘く見ていた。勧善懲悪を適用できていたのは短期に終わり、邪悪が新種を生み出したのに対応できなくなった。
いつのまにか、世の為政者に邪悪はとりつき、それに騙されて善良な市民がついていき災難に遭遇するようなことが増えた。そして邪悪は少数でも、支配層ばかりに取り付くようになり、やがて市民を洗脳して、邪悪の種を撒き、いっそう世界を混迷化させた。
このような経過で、とうとう旧神話にいう黄泉の国の状態にまでなってしまったというわけです。
黄泉の国のステージとは、パソコンで言うなら、アンチウイルスソフトにまでウイルスが感染した状態とでも言いましょうか。そうなれば、ウイルスチェックは名ばかりのもので、すでにパソコンは風前の灯。システムダウンは不可避なので、強制的にシャットダウンさせて、まともなウイルスソフトで駆除するか、インストールからし直すかするしかなくなるわけです。
何とかソフトランディングさせて、今までの延長をきれいなものにしてやっていきたい。そう仰るのはおよそ保守的なお母さんがたでありましょう。
しかし、ここはいいですか。
お母さん方が、ババタリアンになってはいけませんよ。
ゾンビと化した旧来の社会システム。その旧弊は無尽蔵に報告されています。それを逐一精査して、あれを直しこれを直し。あのね。あなたはプログラマーしたことがないから、わからないんです。修正をかけてまっとうにすることが、どんなにたいへんな作業か。
そんなことして、暇つぶししてるつもりなら、おやんなさい。プログラマー的作業員はみないなくなりますから、どうぞおやんなさい。
三連徹四連徹、ざら。やってりゃ、脳みそ腐ります。
それより、一から新規に構築しなおしたほうが、どれほどすっきりするか。
どんな設計も、思いのままなんですから。まだ計画の段階ではね。
WindowsはもともとAppleのOSソフトの処理方法を真似て、設計も満足にいかないうちに追いつけ追い越せで無理した結果、途中で修正修正、毎日のようにいっぱい修正が出ています。それを追加すれば、ちょうど傷ついたたんこぶの上にまたたんこぶ乗せるようなもの。混み入ってくると予期せぬトラブルも起こしますよ。
LINUXなんて、どう使えばいいか知らないけど、オープンソースなこともあって、ウイルスにさほど関係しないみたいですね。しかも、シンプルで今のパソコン性能なら、どんだけ速いか。リコンパイルリアセンブル禁止を謳う隠蔽体質は、それ自体が邪悪にとって格好のターゲットになるんです。誰もが見ておかしいと思うところが把握できれば、光射すお白洲のようなもの。邪悪の入り込む余地もないでしょう。
これからの新世界はシンプル。進歩がどうこう言わない。邪悪がどこにもない。学校もなければ、試験も何にもない。太陽の光射す草原で、どうぞみなさん遊んでください。
そのような設計思想が最初にあれば、子供も憩えるテーマパークとなるのです。
今の世は、狡猾で獰猛な大人を対象にしたマッドマックスか、恐怖におののくお化け屋敷のテーマパークに成り果ててますよ。それだけ、この世の邪悪な支配神は、人気の翳りを焦っていたと言えないでしょうか。
13. せっかくだから、ゲーム性を楽しむこともまた一興
私は神だ。
なに、お前もそうか。
そうだ、今頃わかったか。
どういう名前の神だ。
マグマ大使だ。
そうか、私はウルトラマン太郎だ。
こちとらはセーラームーンよ。
おっ、後ろにもいつのまにか。
その横にいる私はタキシード仮面。
まてまて、私は七色仮面だ。
おれもまぜろ、ゴジラマツイだ。
ガッチャマンもいるぞ。
鉄人28号も。
そうか、これだけいれば、きっとコンコンマークにも勝てるだろう。
いや、やつらは一対一の勝負を求めてきている。最強のデビルマンを最初から投入するらしいぞ。
うーん、そんなルールを決めてくるとは、さすがGHQ並み。被占領惑星のつらいところだな。どうすればいいやら、うーん。
アイデアあり。リングの周りに、雪隠から肥を汲んできて撒いておくんじゃ。臭いものに蓋をしたがるやつらだから、掃除に気をとられて勝負に身が入らんだろう。その間に、チョップの連発で片付ける。
それって、なんかいいよなあ。よし、それでいくか。
こうして原発から肥は撒かれたのじゃ。
どうじゃ、神々の次元の取り組みの壮大なこと。
んなこと、ないやろ。
日々を深刻に生きておられるかたには、申し訳ないようなコントでした。
しかし、言下の局面を見れば、もっと気楽に生きたほうがいいような局面になっているような気もしませんか。
昔で言えば、末法の時代を憂えた人たちがすがった思想がありました。
念仏をひとつ唱えれば、極楽往生という思想。どんな文盲の人でも、文句さえ憶えていればよかったわけですから、その思想の功績には大きなものがあったろうと思います。ひどい時代だったようですから。
これからの時代は教養が邪魔して、そういう単純な手法ではなかなかうまくいきませんよね。強引に説き伏せて引き込む思想もいくつかあるようですが。
そんなときに、疑似科学的ではありながら、本質を突いた拙モデル概念のような統合思想(もはやこれは思想だ。芸術だ)に接したあなたは、スパルタンな教養を身につけたことになるでしょう。念仏では納得いかなくとも、何となく納得いきそうだし、まず、得した気分になるでしょう。それというのも、今は万民がコンピューターに接する時代になっているからで、恵まれた時代になったよなあと思ってもらえたら、あなたも私も幸せになれるんです。
この世は、そうとはなかなか悟られないように仕組まれたRPGゲームなんです。そこがシステム開発者の腕の見せ所だったんでしょう。
そこには夜があり、そして朝が訪れた。
ストーリーが設定されたんです。登場人物を楽しませるために。
初めはマリオのゲームも、悠長でのんびりと、手先の器用でない人も簡単にゴールに入れました。これ、はじめ人間の時代です。
それだけでは物足りないという人のためにフェーズ2が設けられました。今度は少し殺伐として、生き延びる工夫をしなくてはならない時代です。
さらにクリアーした人にフェーズ3,4,5・・・と困難化する時代が与えられていきました、とさ。
その程度でも、面白がる人が増えた。それを見て開発者は、もっとリアルに映像にのめりこませる工夫を施した。これは映画的な段階。しかし、それもうけた。が、人はまだ観客に過ぎない。そこで、全身全霊を映像システムに直結させて、臨場感を以て体感できるものにした。人の目は目が点になって、夢中になるようになった。これだ。開発者にんまり。人はすでに一観客ではなく、ゲームの中の主人公になりきっている。そこに追加すべきは、もう虜にすることしかない。
功過点数をつけて採点し、ゴール時の点数によって、次のゲームとして、今まで開発されたたくさんのソフトのいずれかにエントリーさせるようにした。品性の低い点数の人には、次は犬の人生とか。高い点数の人には神の人生とか。これで売れ残っていたくだらーんソフトがみんな完売した。
輪廻転生。みなさんは時系列的に行われていると思うでしょう。そうではないのです。過去世が未来だったという人もいるのです。いや、いるはずです。原理的にはね。(おして図ったようにして報告されてこないだけ)
なぜなら、プログラムは全部、リエントラントにできていて、徳川家康の人生(世界線)を別の人が体験してもいいんです。しかし、すべてインタラクティブですから、まったく同じ人生を歩むことはないでしょう。三成に敗れた家康をやるかも知れません。時空はあなたを創造主として、選択的に展開していくのですから。ただそこには元のプログラムがあって、選択的に関係するサブプログラムがあなたのものとなるのです。
霊能者からこんなこと言われた人がいるでしょう。
「あなたは過去世がクレオパトラだったことがある」
大丈夫です。Aという霊能者の見立てはBという人に対して正確に言い当てているのです。
しかし、Cという霊能者はDという人に対して、同じことを正確に言っていたりするのです。
こうして、我も我もクレオパトラだったと仰る。はい。ぜんぶ正解。
ほら、そこのおばあちゃん、あなたもクレオパトラだった可能性、ありますよ。
くっくっくっ、ばかおっしゃい。こんなしわくちゃばあちゃんつかまえて、なに言うの。
ご存知、キミマロバージョンでいってみました。
みんな自分たちの中に霊魂が宿っていて、永遠の命だと聞いているよね。
その良し悪しは別として、そこまですごいものなら、もっと何かあってもおかしくないと思わないかい?
それがあるのさ。
君たちにとって、まったく聞き及んだことのない話。インドの聖者からもこんな話は聞けないだろう。知ってないだろうし、知っていても、そんなこと言って何になるとしか思っていないし、表現するための背景になる知識がそもそも君たちに備わっておらず、意味が掴めなかっただろうから、話すわけにもいかなかっただろう。
ところが、いまやいい時代になった。最先端技術をモデルに使うことができる。その原理が多少なりともわかれば、すっと腑に落ちるから、とてもいい時代と言えるんだ。
しかし、時間が残り少ないのが惜しいよな。
いいか。千載一遇のチャンスだぞ。ほんとうなら100ハーまでいかなきゃ話さないことだが、時間が少ないかもしれないから、ここでハーしちゃうことにした。幸運だぞ、君たちは。
さて、今まででこの超宇宙の仕組みと時空が構造的にどうなっているか、教えてきた。およそ頭の中で理解出来たろう。タイターのたどった経路もわかってるよな。わかってなきゃ、見直すんだぞ。
14. 私は森野奥人の世界線をプレイバックによってほぼ総なめしてきた (まだどれほどあるかは知れないけど)
一言、言っておくが、君たちのすべてがすべてそうだと言うつもりはない。
私はこの男の世界線にレコード針を置く前に、主催者との契約があった。そこまではみんなもそうだろう。違う者もいるかも知れんが。
そのときにまったく気がつかず、後で気がついたんだが、森野奥人の体験にあたってプレミアム契約が付いていたんだよ。
簡単に言えば、ふつうの凡人の体験の場合はおおよそ、インタラクティブに進んでいけば、途中で後戻りが利かない。彼は一意に世界線(人生)を確定していって、ゲームセットする。彼のたどった道は一本だ。
ところが、プレミアム付きの場合は、途中で分岐し去ったうちの、主だったパラレルワールドに、分岐した時点までさかのぼって、プレイバックできるんだ。
この森野奥人の人生は、うまくいった先は、この世界の救世主になる宿命がプログラムされている。だから、この男の人生ソフトを実行したがる者はみんな、それが楽しみなんだ。そのために、主催者はこのソフトにプレイバック権をつけて、主たる展開のすべてを堪能できるようになっている。
プレイバック権つき動作が入るのは、奥人がその世界線の末端で死んだときだ。つまりその時点でゲームセットだな、ふつうは。
ところが、プレイバックして、極近の主たる分岐点まで戻ることになる。
いやあ、私にとっては、これはいささか不都合だった。魑魅魍魎の変な世界に来たことがわかった時点で、さっさと切り上げたかったんだ。ところがプレイバックが自動的に起きるから、まあうんざりするほどこの世とつき合わされることになった。知らずにテーマパークなんかに、のこのこやってくるもんじゃないぞ。
君たちは、もしかしたらデジャビューなんてのを知ってるかな。けっこうそんな経験した人もいるらしいな。この主人公の奥人は、単なる超知覚のひとつだろうと思ってたみたいだが、実はこれが前のチェックポイントに戻ったときに起きる既視感だったのさ。
私はよく、人の世界線のことを列車にたとえたよな。列車はそれなりにサイズがある。世界線のレールを戻したときに、どうしてもチェックポイントの少し前からはじめなきゃならない。そのときに、過去にいちどたどった記憶との照合がとれて、あれえ?と感じたわけなんだ。
だから、デジャビューの光景そのものに、大して意味はない。ただその直後にポイントがあって、パラレルワールドに分岐していたんだなとわかる程度のことなんだ。
今やっと、奥人の本命線を実行しているみたいなんだが(それらしくなってきたからな)、まだわからねえ。でも、いいんだよ。駄目でおっちんじまったら、またプレイバックだ。
本命線がどんなだかは、噂を聞いてきただけに、知ってるんだろうけど、この世に来た時点でみんな忘れちまったよ。ま、いずれ思い出すだろうし、きっといずれやらせてくれるだろう。それだけお預けなんてこた、ねえだろうよ。
そうさ、魂のオレはこんなに下種さ。だからこそ、救世主さまとやらを体験して、ちったあ品格を上げてやろうと思ってんじゃないか。はっはっは。
未だこの品性では、どうもこの世界線もボツかも知れんなあ。
15. 記憶はプログラムごとに独立
今までのハー論で言ってなかったことがありました。独立して存在する記憶領域のことです。
前にP1〜P4状態で動くプロセッサの話をしましたが、その場合もそうですが、それぞれの管轄する記憶領域はそれぞれ異なっています。
P1状態で動いている目的プログラムのAとBの二つが同時に走っていたとしても、A専用の記憶とB専用の記憶は互いに侵食しあわないようになっていますよね。意図されずに侵犯があればメモリエラーでシステムダウンしたりしますから。
それと同様のことが、たとえば霊の意識の記憶は顕在意識からでは読めないようになっていたりします。だから、自分とは何ぞやといったことに、思いがいたせなくなっているのも無理ないと言えます。むろんどこにも例外はあって、まれに導通のある人もいるようですが。
さて、私がデジャビューという感覚の意図する「プレイバック」を嫌がる理由は、せっかく辿ったジ・エンドまでの経過にあった記憶を、その時点までまったく失うからなんです。
パソコンで、システム復元という機能がありますよね。そう。プレイバックを理解するには、システム復元がいちばんいいモデルになるでしょう。システムが不具合になって、システムダウン手前までいっているようなとき、前のチェックポイントまでシステムを復元すると具合がよくなるという、あれです。その代わり、その期間に蓄えた記憶もインストールソフトもみんな失います。ちょうどそのような感じです。
コンピューターでありうることは、マトリックスゲーム世界に意識を置く我々にもありうるということ、憶えておいたらためになりますよ。モデル化とは相似像を見抜くってことです。
これが人の場合、まったく失ったわけではなく、霊意識のほうが記憶しているのですが、今度は顕在意識から霊の記憶に滅多にアクセスできないために、ほとんどわからずにいるということなんです。
ただ、よほど頭脳をリラックスさせたα波の状態のいいときに、ちらっと垣間見ることができたりして、なにかどこかにあった懐かしい記憶として蘇ることがあります。あるいは、夢の中で、夢見の身体(幽体)を介して記憶の呼び出しができたりします。しかし、今度は夢見の身体の記憶と顕在意識の間で、記憶の受け渡しの苦労があって、すぐに忘れてしまい、ああ、夢は荒唐無稽だが何かストーリーがあったよな、で済まされてしまいます。
これで都合が悪いのが、私の救世主としての本命線は、これからのことなのか、それとももう経験済みなのかが、現時点では掴めないということなんです。
もしかして、昨日デジャビューがあったから、あの時点で向こうに行った世界線でもしかしたら救世主してたかもしれませんよね。こっちは何かいびつな成り行き。どうも直感的にもよろしいように思いません。
とすれば、私の記憶(顕在意識の)にはないけれど、もう遠い日の花火になってしまったのか、という恐ろしくも儚い現実の可能性に直面するわけです。
何だ。残されたのは破れ羽根キリギリスの人生ばかりかよお。
いいや、あんたはどこかでやり遂げたんだよ。と誰かが。
首傾げつつ、うん、ま、そうかな。と自分的には、楽天的にやってくしかないじゃない。早く、全部終わってくれと心でつぶやきながら。
霊意識になったとき、検証すればいいからね。と誰かが。
よせやい。もう頭の中、破れルーチンでごちゃごちゃだい。検証作業放棄してさっさと家に帰ります。
そして一言捨てぜりふ。
間違っても、二度とこんなゲーセン来るもんかい。
16. 人生は線香花火の如し
http://higezaru.blog25.fc2.com/blog-entry-192.html
から写真をお借りしました。(右上)
このように線香花火の光跡は、ちょうど人生の世界線に似ています。
それは樹木の枝分かれしていく様にも似ています。
あるいは、人の肺の、気管支から末端の肺胞に至るまでの空気の流路にも似ています。
開始は生まれたての一本の赤子から始まり、意思による世界線の選択によって分岐していくわけですが、もともとのプログラムは時間軸に沿って、任意の時点における分岐をあらかじめ用意しているところの、線香花火のような構造をしているのです。ぱっとプログラムの全貌を設計書に描いたら線香花火のようになったと解釈したらいいでしょう。
さよう。人の人生は、線香花火の全体写像の光源から、枝分かれしていくルートを一意に求め、確定していく作業なのです。火花が末端で消えたとき、人は一生を終えるというわけです。長距離が予定されたルートもあります。すぐさま消えてしまう短命のルートもあります。あるいは団子のようになってボトンと地面に落ちて消える場合もあるでしょう。
人生は線香花火。
こう書けば、命とは儚いものという思いがしますし、恋は遠い日の花火、のように哀愁すら漂ってくるようではありませんか。
私のように、プレミアム付でやっている者も、全体像を見てみれば、神仏の手によって灯されるほんの数秒間のご愛嬌なのかも知れません。
そんなとき、ちょっと跳ね返ってみて、あちちちと言わせてみたいではないですか。
17. モデルで仮定して神(大宇宙)を象徴し、神(大宇宙)の子孫(人、コンピューター)について、大輪の話を咲かせよう
>Q:仮定、とは何ですか
A:・の象徴 ・の子孫 大輪咲かそう
はい。ハー論のタイトルになりました。
>●出品=出場
はい。これを過去にしましたが、大輪開くまで、これからもエントリーし続けます。
In deepさんが昨今取り上げた記事に、DNAの知られざる世界がありました。
その中の95%以上が遺伝情報に関わらない未知のジャンク部分だということです。それをロシアはすごいですね。その中からとてつもないものを見つけつつあるようです。その点亜米利加は先行して進んでいることでしょうが、すべて秘密にして邪悪な目的にしか使わない卑怯組織のお国ですから、どんなものが出されてきても一般向けの情報ならばマユツバにしとくべきでしょう。
我々素人はいいですね。総合的に物事が捉えられますから。
私はまだ若い頃に、人間には霊魂があって、霊体と幽体に分かれているといった情報に接しました。今でも大同小異、同じようなイメージでいます。
霊体はいっそうわかりにくいので、幽体のほうの性質だけにしときますが、どうやらこれに中国漢方では経絡という異界の神経伝達系を設定しているようですね。というのも、これは通常の神経細胞で成り立っているわけではなく、目に見えないところの、ただ電位的に特異さを醸す経路であるからです。
しかも、中国四千年の伝統医療として用いられてきた経緯が、ふつうだと与えられがちな非科学的というそしりを免れさせているようです。ところが西洋医学つまり科学の側からはまじめに研究されることはありません。サイ科学という不真面目と見られがちな異端研究者グループでかろうじてフォローしている現状ですね。ちょうど自民党に河野議員などがいて、緩衝材の役をしてるのと似ています。が、主流からすれば鼻にもつかない、どうでもいい存在だったりします。
そんなところに1983年、拙モデル概念は登場(出品、出場)したんです。研究論文よろしく英語でシノプシス書きましたよ。それが功を奏したのか、秘教組織の目に留まり、彼らの優秀な知識体系に組み込まれたのかも知れません。のちに1999年、映画マトリックスとして、神の側VS救世主側のスリルとサスペンスのバイオレンスアクションと、大衆への虜囚的絶望観念の植え付けのために用いられることになった、かも。とにかく大衆向けには、混ぜものだらけになっているということ。峻別智が要求されるところです。
さて、話を元に戻し、私がまだ若い頃、幽体とDNAのリンクを考えたんです。DNAがなぜ人体の内部組織の配置さえも認識できるのか。ふつう、単なる偶発物理学の延長上では想像もつかないことでしょう。どうです? 難しくなったら、またぞろ、神がなされていることだと、某宗教に逃げ込みますか?
馬科学者と鹿宗教家の二面性を発揮しないでくださいよ。ねえ、専門家さん。
DNAが体内電流によって励起されて生体磁場を発生させている。その統合されたものが幽体ではないのか、と当時の私は考えたのです。こんなこと、ちょっと頭ひねれば感じ取れるはずですよね。
のちに、カスタネダのドン・ファンシリーズを読んだとき、ドンの教えの中に、"人間の鋳型"というのがあって、それは原人とでもいうべき神々しさのもので、テレポートなどにも重要な役割を果たしているとのことだったんで、びっくりしたのです。
人はまれに神々しい光に満ちた人格的存在に触れることがあるとき、ドンによれば、それは人間の鋳型を"見た"のだといいます。その場合は幽体のさらに内にある霊体のほうに接したのだと、私は思いますけどね。
しかし、鋳型という表現は、みごとに人体の五臓六腑から何から何までの配列を監督している有様を想像させて、うれしいほどではありませんか。
鋳型が何らかの都合で形成されなければ(磁場を発生させるべきDNAが異常であったり、DNAは正常でも細胞内物質の異常で電流がまともでなかったりすれば)、葡萄状奇態という死産のケースになったりしないでしょうか。配列を監督矯正する管理者がいないようなものだからです。
が、そのケースとは今の偶発科学者ならではの落ち着き先なのです。彼らにはその程度のオツムしかない。というのも、異界を断固として認めないから、前に進めないのです。面倒な方程式のほうへ逃げ込むことばかりしていて、おおかたの彼らのオツムの中はノイズの海状態のはずなんです。
いいですか。彼らのことをバタリアンと言います。みなさんはオバタリアン。その中の特に頑迷なかたをババタリアンと言いますね。
バタリアンが作り出すものは、原発のような、未来を見据えたことのない、有害なものばかりなんです。理論もみんな有害。人間の都合のいいことばかり言ってるようで、最後はそれに背かれるのが人類。この構図、よく憶えといてください。バタリアンの行き着く先は、すべてが葡萄状奇態のようなもの。万事、そうなりますから。
この秘儀のもうひとつ深いところを言っておくよ。バタリアンはそうならないように願ったけど、バタリアンにされちゃったの。誰にって?神様のグループによってですよ。グループ=群類=グル。ここにも邪神が関与してんだよ。だから、そんなもんの占領下にあって、まともなことができるなどという幻想は捨てることだ。
さて、話を元に戻して、私は若い頃、霊能者の話にも耳を傾けましたよ。過去世の記憶。あるいは事件の経緯をビジュアルに見る霊能者のいること。それは、この空間に事件が、あるいは過去世が、記憶されているからだろう。この空間には、たえず書き込みがなされる仕組みがあるに違いない。それをしているのは何なのか。
ちょうどDNAが励起して幽体をあらしめているのと同様に、きっと物質や心質(想念)が励起されて、空間に記憶のパターンを刻み込んでいるのかも知れない、と。
それで、当時、造語で"恒常空間埋蔵法"なる原理があるに違いないと思ったようなことでした。(高校時代かな)
つまり、この宇宙空間も、大脳皮質とよく似た性質を持っていると思ったんです。のちに、人間は小宇宙だなんて、先哲の話を聞いて、おおーっと感嘆しましたね。この先哲の話はみなさんも聞き知っておられるでしょう。そしてきっと、人間は神の似姿に造られたと同じ意味合いを持たれたのではなかったですか。
私はそんな宗教と絡めることはしませんでしたよ。もろに科学的に考えましたもん。的外れかどうかは別として。
その後、社会に出て、公務員になろうかと思ったけど、何か花形と言われてた情報処理産業のほうに行っちゃったんですね。苦労しに行ったわけです。結果は能力が追いつかず、リストラの言葉もない時代にリストラされたわけでした。その点、大企業は対処法を当時から知っていて、今だったらもっとやり方も洗練されかつ残酷化していることと思います。私はまだしもいい時代にサヨナラできてよかったんです。
ところが、知りえた知識が成果になりました。この残酷な世界の姿をモデルとして捉えることができたわけですから。コンピューター。この冷酷非道な化け物。そんな中に私は居る。みじめすぎてうれしくなりましたよ、あの当時。
神の存在を信じていました。が、それゆえに逆に神に対しては腹立ててばかりいました。あるとき、自転車に乗ってる最中に、雨が降り出してきてスコールみたいになったんです。そのときおりあしく、よくないことが続いて起きてたため、ついに怒鳴りながら、天に唾を吐いたのです。するとそれはみごとに顔に戻ってきて、諺どおりとなったわけでした。
しかし、どうです。ついに神の正体を、神の冷酷さの正体を明らかにしました。にんまりと溜飲を下ろしたことは言うまでもありません。
花形産業に勤めていた頃のこと。心がすさみがちだったのも、ドツボにいたからかと思ってます。
私が初めて関わったコンピューターはHITAC8200で、タイターが求めていたIBM5100、IBM5200ときて、その少し後に出てきた機種ではなかったでしたか。動作原理を理解するには適切でしたね。
18. 信号と反応の連鎖の陰に、創造神の設計思想が垣間見える
まず、前回の記事でずいぶんと失礼があったかと思うので、お詫びかたがた。
バタリアンとオバタリアンはぜんぜん違いますからね。
バタリアンは名は体を顕すのとおり、場当たり(バアタリ)的なアンすなわち、利己主義者のことを言うんです。
だから、これは純然たる日本語なの。ヤマトコトバといいますか。
オバタリアンは、生は足りアンで、命の充足のことを真っ先に考える利己主義者(やっぱりこれがつくか)のこと。
だから、いざというときは誰彼押しのけてでも、わが子可愛いとなったりするってことね。
しかし、命のこと考えてることがすごいし、アンをanじゃなくて案にすれば、命の大切さをみんなで考えていこうというアイデアに変わってしまうんです。
だから、未来の期待のホープは、そう、みなさんのことだからね。
あるネット界だけの有名人は、未来は女性系社会になると断言してますよ。私もそれでいいと思います。
新時代は女性系社会。母系社会とも言いますかね。そうでなかったら、存続可能な世界はできないんです。
あの何種類もの宇宙人と親交の深かったSさんも言ってます。宇宙人はみんな女なんだと。男の姿してても、あれついてないんだって。
地球に何で男が居るのか。それはおうちゃくな宇宙人一派が、地球開拓と防衛のため、そして何より奉仕させるために作り出したといいます。ところがやっぱり肉体労働に特化した種類ですから、この地球環境においては優位性がある。覇権を主張しだして、社会構造が逆転してしまったというんですね。
宇宙に乗り出す文明まで作るなら、命のことをよく知っている女系でなくてはならないんです。男の文明はみんな外に出る前に滅んでます。今回は知らんですよ。もしかしたら、うまくいくまれなケースかも知れませんがね。
長々といいこと書きました。これみんなお世辞ですから。
さて、そろそろ退出を。
違った。本論が欠けてはいけませんね。
もう40年も前の生物学者の研究によると、人間はどうかはまだ当時においてこれからのこととして、凡そ動物は昆虫も含めてですが、彼らの行動はすべて、信号と反応の連鎖によって成り立っているということを突き止めてます。
学者、それも過去の学者の言うことだから、本気にしなくていいんですが、私にとっては、ほん都合のいい学説だったんです。
あの小鳥たちの愛情あふれる親子のしぐさ、献身的なオスの求愛行動、外敵の認識の仕方と防御反応、みんな信号と反応の連鎖にすぎないと結論したのです。そこには人が抱くような愛とか悲しみとかの感情は介在してないんだと。つまり、原因と結果の連鎖であって、結果がまた原因になって次の結果を生むといったことですね。それがただ淡々と外界には展開しているのだというのです。
もう少し突っ込むなら、DNAに信号と反応の手続きが記憶されていて、それが指令して小鳥に次の行動を取らせているというわけです。子を守る親鳥の無私の感動的行動。それを感動して見るのは人間だけ。彼らはある危険信号を認識して、ある信号を持つものに体当たりしていったにすぎない。車に轢かれて手足を痙攣させている狸がいる。それを見て、苦しいだろうな、彼の脳裏には親を待つ子狸のことが口惜しさの中に写っているに違いない。それは人間のする想像にすぎない。こうしてみれば、なんと言う不謹慎な非人間的学説を造るものよと腹も立つことでしょう。そう、おそらくは人間の作る学説なんてものは、嘘八百であって、すべて覆るに違いないんですが、そのころの私には、とてもいいものに見えたんです。
DNAは神の言語表現の具体化したものです。それが強制して彼らの行動を促しているとすれば。つまり、この世界は総じて神の言語表現とみなしてもいいのではないかと、私は感じたんです。
それが拙モデル概念の基盤にはある。だから、一見すると冷酷無比なものとなるんです。間違えれば、殺戮するに罪の意識なくやってしまえるゴミクズを造る可能性がある。卑怯組織なんかは、その方面を強調しますからね。
しかし、拙モデル概念における宇宙プログラムには、想像や心理的動きまでもあらかじめプログラムされているとしています。
つまり、設計者(神)が人間の観測と認識のために、生き物の愛情表現などを与えて、それを感動的に見ることができるように作っているわけです。その設計者の意図には善良なものしか感じられないはずでしょう。ただ神の被造物を愛でてほしいという。
それゆえ、この宇宙のプログラムを基本的に造った者は、信頼の置ける者に違いないと分かるんです。
ではなぜ今のようなおかしな世界になってしまったのか。
私は、原初の姿を創造した太古神と外来の邪悪な神という対比を設けてストーリーにしました。
この世界は邪神によって後天的に乗っ取られてしまった。
国祖引退神話というものが世界各国にあります。引退後、世界はおおよそ闇に包まれたと伝えます。
エジプト神話で言えば、オシリスを暗殺したセト。ギリシャでは黄金時代を治世したクロノスを殺害したゼウス。
日本では非公式ではあるものの、国常立尊と天照天皇を封殺した邪神たち。公式には謀反人は処罰されて事なきをえたように、しつらえられていますが。
ま、今の国情を打開できるのが、天皇さま以外にはあるまいと思われるので、ここでは深く申しません。(次には申すかもよ)
三度目の玉音放送は、はるかに感動的なお言葉になると思います。(二度目は東日本大地震と大津波のときでした)
きっと資産家たちは復興資金を涙ながらに出してくれることでしょう。(終戦当時を思い出しましょう)
また言いっぱなししちゃいました。
聞きっぱなしに、してくれるかな。
19. 新時代は魂の故郷にいて博物館から旧時代プログラムを閲覧して学ぶ
旧時代のみなさんはたいへんなことです。
古来言われているように、時系列的な輪廻転生を繰り返し、進化という謎の目的を達成していくわけですから。
神縁をたまたま得て順調で幸福な人生を送るかと思えば、守護をなくして不幸の極みをあじあわねばならない人生があったり。
目に見えない摂理を恐れ敬いながら暮らすことを余儀なくされていく人ばかりになります。
それでもよいというのがこれまででした。
新時代は解放の時代ですから、解放された者たちの自由選択が許されることになります。
旧時代も、むろん新時代も、すべて宇宙の開始から終わりまで、神の言語プログラムに拠っていることがわかっていますから、その範囲内でならどのような応用形態も工夫されることでしょう。
旧時代には、人々は受動的に課題を持ったひとつの人生をあてがわれ、それが終われば功過が採点され、差配神の指図で次の輪廻があてがわれるわけでした。
新時代においては、学府において、旧時代のプログラムを対象にして学究的に閲覧するという形態になります。
研究課題は自由に設定でき、学び終えたと自分で判断した時点でアウトプットを出し、学府が妥当と認めたら、その道の専門家となり新時代のさまざまな分野で活躍するようになります。
むろん、新時代において旧時代を学ぼうとするのは少数で、人心の脆弱性などの研究を通じて、高次の世界におけるセキュリティの達成に寄与したいという人たちがもっぱらです。
私もそのようなひとりであり、故郷に邪悪の侵入する余地を与えないことを目的とするファイアーウォール部門に属しています。
以上は、この今の世界にアクセスする者に、大きく二種類あるということを示す話でした。
つまり、新時代を未来とするなら、未来からこの過去の時代にやってきている者もいると考えてもらえばいいでしょう。
なにもタイムマシンを開発せずとも、霊それ自体が全宇宙のプログラムの任意の場所にアクセスできるUFOのようなものだからです。
しかしそれは、一定のルールによってのみ許されていることです。特に旧時代プログラムに対しては、人によっては混乱することもあって、学府からはガイド教師がつき、チェック機能を果たしています。
いっぽう普通のシーケンスな流れの中に漂流するかのような人々がやはり多いです。
その彼らに対して、何ができるわけでもないのが新時代からエントリーした者なんです。実に孤独なものです。満足に交流できるのが、やはり新時代からの者ばかりになりますから。
私は、人心研究の一環で、日本神話を研究課題にしました。二つ前の過去世は本居宣長でした。といっても、旧時代を生きた宣長の人生の世界線にエントリーさせてもらったわけです。そのもっと前には太安万侶でした。これもむろんエントリーによってです。えみこのようなハッタリを言うつもりは毛頭ありません。
その一連の経験を通して、通常では見つけられないような邪悪の流れのあるのも、見て取ることができました。これはもしかすると新時代にも間隙を突いて入ってくる恐れがあると思えるものでした。私はこの経験が終われば、この恐れの部分を含め、研究のアウトプットとして上提するつもりです。
私は、50歳までで人生を終えるはずでした。研究に欠かせない、見つけるべきものを見つけたからです。ところが、その成果を先買いして、旧時代から新時代への移行を司る神々からの要請がかかりました。すなわち、新神話制作による協力です。
プレイバックのプレミアムつきでやってきたのも、見つけるものに対して細大漏らさぬためでしたが、この機能は新神話の見届けにも適用できることとなりました。むろん、奥人の網羅する世界線の限界までしか行けませんが、これもまた面白いかと思います。いやあ、面白くは決してありませんよ。だって、この世の中見てたら、うんざりしますから。この研究を最後に、旧時代プログラムとは金輪際おさらばするつもりです。
そう思えば、旧時代を生きる人たちのほうが、迫真性の中で生きられて、恵まれてるのでしょう。しかし、その彼らが新時代人になるのも間もなくです。
20. いちど来た限りは、皿洗いでもなんでも奉公していきましょう
「世界はブラフマの見た夢。彼は善悪混交のストーリーを組み立ててその中で夢を見ている」
これはちょっと勉強した人だったら知ってる噂ですよね。
だからといって、今現にこの世界に来ているあなたに、そんな悟ったようなことが言えると思いますか?
毎日毎時、木の葉のように彷徨い暮らしてるあなたは、目の前のことで手一杯でしょ。アリンコがどうして雲の上のことを思いながら暮らせるの。それと同じ。大それたことができる立場じゃないってことなんです。
いや、思うのは自由ですけど、すぐに現実に引き戻されてしまうでしょ。こっちがあなたの仕事なんだよ、と。むろん、空想にふけってばかりいた私のようなのもいますよ。しかし、まだリストラという言葉のない時代にリストラされちゃいました。だから、分相応にしてるのがよろしいようです。
何も考えないでいこうというのも、仕事してることにならないんでしょう。
善悪の局面に際しては、善に就こうとすべきでしょう。正義と邪悪のせめぎあっている局面では、正義感に燃えるのがほんとうでしょう。魂の故郷に根ざしているのなら、ひとりでにそうなります。
>Q:誇り とは何ですか
(Q吉田松陰さんどうされていますか
・・→A歩んだ道のりに誇り )
A:・の活躍見たい ・へエール メッセージ
かつて正義に燃えた先達がいました。彼はあちらで後世の子弟たちの正義感あふれる活躍を見て、エールを送っておられるのでしょう。この交信は彼からのメッセージですね。
が、魂の故郷から離れたく思ってる人は、邪悪のほうを選びます。ホログラムの干渉縞の暗いところ(魔の巣)を目指してるわけですね。これはテスターとしての創造主の自由だから。
むろん仕事と割り切って向かってる人もたくさんいます。相当にスパルタンでなくては務まりません。ゴイムと呼ばれる人たちより数段格が上。いわばピエロみたいな熟練者です。事故のあった原発に作業員でいくようなものだから、決死の覚悟です。死が決まってるってことね。だって、火の鳥に焼却されるわけですから。
いっぽう、気楽なこんな私でも観光目的だけで来れるわけないんです。仕事といっては何なんですが、研究目的だったんですからね。ところが、いまは決死隊なみの仕事までしています。猫のブーなんかはフーの応援ついでに観光しにきたつもりが、みんな予定が狂って、いちばん苦労してるからね。肝心のフーはさっさと引き上げてます。
この世界は、予定通りいかずでほんとたいへん。
しかし、これは言えます。あらかじめ決まったレールの上をあなたは歩いてるということ。そうなってるのをあなたは光を当てて確認してるわけなんです。今あるあなたが判断して進路を選び取ってるように見えるけど、ほとんどの場合はそこに曲がりくねったようなレールがあっただけなんです。
そりゃ、願いや思いによって慣性方向を変化するようなパラレルワールドに移行する場合もたくさんあります。しかし、分岐点はわりあい遅れて出てくるものですし、すぐにあるということもありうるけど、よほど強い情念が要るものです。
だからここは、あなたが今した判断が正しかったか間違ってたかなど、思い悩むことではないのです。
神の化身サイババさんも言ってます。誰も私に知られることなく、心ひとつ動かすことはできない、と。あるいは、人はこっけいなあやつり人形だ、と。
そりゃ、木の葉に揺られるようなレールに乗っかってれば、木の葉のように揺られます。それを結果がよかったとかわるかったとか、後で悩むことだったのかどうかですね。あやつり人形が、ありゃしまった、勝手に右手が動いたよ、困ったことをしてしまった、なんて思いますか。
しかし、こんな横着はいけませんよ。勝手に右手が動いて、隣の人を刺しちゃったよ、私は操られてたので知りません、なんてお白洲で申し立てても、市中引き回しの上、獄門打ち首になるだけです。彼は打ち首になるレールに乗っかってただけだったとなりますからね。
捉え方、わかりましたか。
木っ葉人生、風任せ。いい風吹いたら帆を揚げて、雲行きわるけりゃ帆を下ろす。あとは、きっちり心の隅まで監督してると豪語するお方に責任持ってもらえばいい。ただし、まじめにしなくちゃ、いけません。少なくとも、監督に恥をかかせないようにしようという心構えがあってほしいです。そうすれば、守護は万全。監督をためしてみてやれなんてちっとでも考えたら、お前いい度胸してるじゃねえか、と、ぽーんと左遷されちゃいますよ。おかしなパラレルワールドに。だって、監督はヤクザ上がりなんだから。
あっ。す、すんません監督。つい口がすべってバラしちゃいました。
お久です
次の記事はここからの引用です。
http://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7214268
http://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7216261
箇条的でなかなかなので、こちらにまとめて掲載します。それと同時に肉付けや補修も行わせてください。
引用開始 (+肉付け+補修)はこれから
------------------------------------
さて、ふぐりさんは人間大砲の話を持ち出して、我々の個々がとりうるパラレルワールドの話へと進めようとされているように思われます。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-848.html
干渉縞のぼやかしのように無数にあるパラレルワールド。すでにみなさんは自分の存在位置を確定することで、過去を確定してきました。
いま現在は確定している現場です。
そして未来は、次の刹那から採りうるルートが無数に存在するパラレル天国になっている。さああなたは、どの天国のドアを開けて中に入りますか。
まてよ。それでは未来選択において、人々が任意の選択をして生きている現状とまったく変わらないじゃないか。
オーノー。まったくそうではありません。
ではその違いを箇条書きにして説明いたしましょう。
1. 試行錯誤するサルから一挙昇格。10階級特進。創造主へとジャンプアップ。
ヒャッハー!!
今までのあなたがたは、一寸先に何が待ち構えるかわからない中で怯えていたサルだったのです。
サルはジャングルにいて、我々は文明生活しているじゃないか、どこにサルだと仰る向きもあろうと思います。いいえ、あなたがたはサルの特別職だっただけ。なぜなら、アスファルトジャングルの中に今目下棲息していますでしょ。そこで仕切られた中で閉じ篭って、ぶるぶる震えているか、見られていないから安心だとやっと安堵しています。それを棲息していると言います。息を潜めているさまが思い浮かびますでしょ。
ところが、それが創造主へとジャンプアップなんです。全能の神が全体像を創った創造主なら、あなたはその中から歴史を一意に確定していく創造主として機能しているのです。どうです。創造神と創造主の関係性にご注目ください。
な・ななな・なにー!!
それでも、一寸先に何が待ち構えるかわからない中で怯えている現実に変わりはないですって? オー。あなたは何という分からず屋なんでしょう。
今までのサルのあなたは、能動的に見えて、実は毎度の試行錯誤の結果に怯え、先回りして悩み苦しみ、いらぬ時間を脳の中のループ状態にある思考回路の堂々巡りに費やしていましたでしょ。欝とかノイローゼとか揶揄されながら。
ところがこれからは、あなたが選び取る行動のひとつひとつが創造主としての行動になるのです。いや、ずっとそうだったんですが、わかっていなかったのです。無論その中には想像行為も含みます。
自分の人生に対して責任感が生じるはずです。さらには創造主であるゆえに、自らの置かれた時空に対しても責任が感じられるはずです。
そして何より、創造神を親兄弟と仰ぐ立場に立てた誇り。これは何万両かけても惜しくはない勲章のようなものではありませんか。
そうなんです。わかってしまった今、あなたを取り巻く世界はぱっとバラ色。うれしうれしの世に変わってしまったのです。
2. 創造神と人間の関係が明確になった。
ヒャッハー!!
全能の神に恐れおののき、自分の行いの小さな重箱の隅を自らつついて毎時毎回すんませんすんませんと、虚空に対して頓首頓々していたあなた。ほら、あなたですよ。あなたのこと。そう。
もう頭を上げなさいよ。見渡して御覧なさい。これを知ったときから、うれしうれしの世が開けたのです。これを夜明けと言います。
創造神と人間の関係が明確にわかったこと。これはみなさんが誇りにしていい創造主の勲章をいただいたことですね。
いいですか。それを可能にしたのはこのモデル概念ですよ。
http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/uchuron.htm
3. アナログからデジタルへ。
ヒャッハー!!
スカイツリーから出されるのは、地デジ電波。非常に高出力なので、付近住民のオツムがどうなるか心配になりますが、これを地上デジタル放送電波と言います。
つまり、いま流行りのデジタル。そう。何でもアナログよりはデジタルのほうがいいと言われる昨今。私は、アナログのほうが微妙な情感が再現できていいんだけど。クリアーになるからデジタルはいいという向きがもっぱらだね。
そう。世界像にも同じことが言える。明確化されるということは、デジタル化されるという意味にも通じるんだ。
神が創った世界の全像は、神の持つ超・超・コンピューターで必要な要素を容れたパラメーターが投入され、あらかじめ計算されて、干渉縞として一気にホログラムメモリに蒸着したんです。
それをよく見れば、神の言語で書かれたプログラム情報だった。さらに細密に見れば、今のコンピューターで扱うような命令語がずらっと並んでいた。それはデジタルなものだった。
映画マトリックスでは、ディスプレイモニターに写るそんなシーンが何度も何度も出てきたよね。
秘教組織は、もしかしたら1983年製の私のアイデアを盗用したのかも知れない。その中から怖い部分を殊更クローズアップさせて、聴衆の好きなアクションと戦争シーンをミックスして、大事な核心的アイデアを暗示させておくということをやっているんです。
4. 神の領分と科学の領分を統一させました。
何と言っても、最大の功績はこれになるでしょう。
今まで人に奇跡が起きたとき、科学は対処困難で、そんなことがあるわけないと無視を決め込むのが常でした。科学者がどうしても論評しなくてはならなくなれば、確率的にきわめてまれに起きることは、今の量子論でも言われていることなのでね、とあいまいに返事している。(しかし、マクロな局面で起きることなどありえない、と心の中では納得していないから、二度と話題にしない。つまり以後は無視する。ところが彼はクリスチャン。教会に行けば、それは神が起こされた奇跡に違いないと神を讃えることは忘れない。つまり、彼の頭の中には、馬と鹿が一線を画して同居している。その状態に矛盾も感じない)
また、奇跡のあった人はまたそれで、神のなされたことと、神への感謝と神への賛美を欠かさない。
彼の精神状態がきっかけで、法則を超えた時空転移をしたというのに、彼は謙虚にも自分がしたのではなく、自分の神への信仰がなさしめたと捉え直すわけです。
これでは、起きた事態の正確な認識はいつまで経ってもできるはずがありません。同じような局面に再度さしかかったとき、奇跡が起きなければ、彼は信仰心が足りなくなったのではないかと自らを疑うことでしょう。
錯誤の上に錯誤が重なる。これを正観できていない、と言います。他力本願の宗教は、正観を妨げることがあるのです。
大丈夫です。神と被造物、そしてそこからアイデアをいただいて歴史創造する創造主の関係をわかりやすく解き明かしました。
5. 遠い宇宙のことに思いをいたさなくてもよくなった。
一生かかっても行けない所。それが宇宙でしょう。むろん好運にも宇宙空間に出る人はいます。しかし、原発事故じゃないけど、かなりの宇宙線被曝をするらしいですね。健康体だったものが、10才早死にすることと引き換えに体験するほどのことかもしれません。
某宗教では、何でも人は神の似姿に造られたそうです。しかし私は、不自由することが多いです。何で手がもっと数備わってないの?と思うことしきりです。大工仕事を一人でするというのは、ほんとうにたいへんなんです。今日も少なくとももう一本あれば、第三の手でここをこう押さえておいて、インパクトでねじを支えながら打ち込めるのに。二本しかないから、まるでサーカスみたいなことやってました。奇跡的にやれましたけど、こんなときは神に感謝すべきなんでしょうかね。
神はどうして進化の極地にありながら、千手観音みたいじゃないんですかねえと思ったことでしょうか。
違うでしょ。四足動物の上に毛を三本増やしただけなもので、ときおり不便に、人は二人で支え合うものといった形になっているんでしょ。
神の似姿なら、空を自由に飛べるはずなのに、それもできない。地に這いつくばって、足で歩いていける範囲に居るようになっていたんでしょ。それを科学技術で便利にして、早く走れたり空を飛んだりする道具を作って、その代わりに生存環境と未来を毀損しながら、何とかここまでやってきたんでしょ。
神のようになりたくて科学を興して、ここまでやってきたんでしょ。しかし、その神は決して推奨していないから、科学が元での災いが起きているわけでしょう。
星空が遠い宇宙を暗示しているからといって、何も行きたがる必要はないでしょう。山に登るのは、そこに山があるからだ。歩く範囲だから、その程度でいいじゃない。宇宙に出るのは、そこに宇宙があるからだ。それはまたUFOが友好的にやってきたときにでも、やればいいことじゃない。
わざわざ用もないのに用を作って無理するから、世界は無理させられてしまうんです。どうしても行きたいなら、あの世に行ってからにしましょう。神にまでなれば、宇宙も自在にいけますよ。
むかし、こんなことがあったらしいです。
シバさんの子にガネーシャ君とスカンダ君がいて、この宇宙を先に三周してきたほうにご褒美をあげようということになりました。足が速く、飛ぶ能力も並外れたスカンダ君が、じゃあ行ってきますと、孔雀の乗り物に乗って出かけていきました。ところがガネーシャ君はいつまで経っても出ようとしません。お母さんのパールバティさんは、こんなことでいいのかしらとちょっと不安げ。それを見てガネーシャ君は、おもむろに、お父さんのシバさんの座ってる周りを三周して、にこっと笑って、終わりました、お父さんこそが宇宙ですから、と言ったので即座に勝ちになったそうです。
これは、とんちじゃなくて、真理なんです。
シバ神の化身サイババさんは、右手の掌に乗るくらいの金の卵を載せて、こう言いました。この中に、全宇宙の初めから終わりまでの歴史が入っています、と。
利発なあなたは悟りましたね。そう、これが宇宙の歴史を記したホログラムメモリだったのです。その中には、すべてのパラレルワールドの素も入っています。実現未実現を問わず、実現の可能性のある時空がみんな詰まっていたんです。時空連続体として。
6. ゲーム性を達観すれば発想も転換する
今ではオンラインゲームなども大流行。だから、やってる人は潜在意識的に悟っている可能性が大です。
今の人生模様も、一種のゲームではないのかと。
それを言うと、命を軽んじるようになるから、よくないんですが、ゲーマーたちは昨今、現実世界にゲーム性を投影しだしていると思います。
その流れにも少なくとも二通りあって、ひとつは精神的安定の一助にすべく、醒めた目で現実を客観視できることがあります。物事に執着しすぎない。淡々としておれる。事態を深刻に考えすぎない。
そのことは、発想の身軽さ、発想転換の変わり身のよさといった利点をもたらします。
たとえば、日本がいよいよ住みにくくなったなと思えば、移住の手を思いつき、行動に移す。考えるんじゃなく、感じることを優先して。手続きがとんとん拍子にいけば、結果はどうあれ、うまくいったこととして享受する。支障がいくつかでてくるようなら、深追いしないで、いい経験になったとしておく。
そこには知らないでいる楽観ではなく、知ってやった上での楽観があって、心すがしい。
http://blogs.yahoo.co.jp/jennifer1215b/32829296.html
別のひとつは現実に対して冷酷に対処するようになる可能性があることです。戦闘を楽しむ。命を軽んじる。殺戮や破壊に対して罪の意識が乏しい。
ほんとうなら、豚に真珠を投げてやるなの喩えが適用されるべきところです。
こんな概念が世界の流行になれば、ゲーマーたちはいっそう現実をその対象にしだします。だから、両刃の剣なのです。
異邦人たちをヘリの中から機銃掃射するのにゲーム感覚でいたり、キレやすい人間やゾンビのような何しでかすかわからない人間を作り出したりします。
http://gamer-movie.tv/
それでなくとも、この世に生まれてきた魂は、けっこうゲーマーであったりします。携帯ゲーム機を四六時中操っていたり、パチンコ店の台の前に所狭しと居並んでいたりと、彼らは生まれる前からゲームの中毒になっていたのかと思われるほどです。
このような魂の持ち主には、精神性を追求すべしと言っても意味をなさず、ゲームであると知っていてさえ、この世に転生を繰り返す御仁たちでしょう。
彼らは、パチンコ店の駐車場に赤子を放置して死なせたことで、大事なものをなくした後悔と懲役刑によって、ようやくゲームから離れる決意をするまで、ゲームに没頭することでしょう。
まさに私たちは、オンラインゲームのバーチャル世界に、人間の形をしたアバターとしてやってきているのです。現時点のオンラインゲームはまだ、自分とアバター、現実とバーチャル世界の区別はつきます。が、ゲームも進化すれば・・・。全身全霊を投入してバーチャル現実を体感するようになることでしょう。
体主霊従とか霊主体従といった話は、ゲーム世界が洗練されてきているから起きるということもわかってくるはずです。
7. 死者の書の代わりにどうぞ
人が死んで、バルド(中陰)のビジョンを彷徨うときも、生前の世界とは異質であるゆえに、見たこともないビジョン展開ひとつで人はパニックを起こすもののようです。
たとえその人の生きた土地が密教の盛んなチベットで、生前にお坊さんから死後の中陰におけるビジョン展開と対処の作法を学んでいても、想像もしなかったビジョンに面食らうようです。というのも、出てくる仏たちの仏画は二次元平面で静止画ですよね。これはいつも寺院で見ていたわけです。ところが、実際は3D でくねくね踊りながら出てくるようですから、瞑想で練習していたのとまったく違うことに面食らうというわけです。
だから、こうしたビジョンで習熟するより、知的に深く理解して、どんなビジョンも実体がないのだからと、公平かつ均質に捉えることのほうがいいわけです。ぜひ、このモデル概念を死者の書代わりのガイドブックにされたらいいかと思います。
というのも、これからはどんな局面で突然他界することになるとも限らないのでね。
8. 予言ははずれたのではない、あなた(創造主)が回避したのだ
その前提として、今まで正確無比な予言を続けていた人物がいたとしましょう。その彼がある未来時点でのある場所での巨大地震発生を予言していたとして、たまたまあなたがその場所にいてその時点の地震を回避できるかといいますと、それはできるのです。
簡単に言えば、経験時空のレールを乗り換えることによって可能です。その予言者は、確かにあなたが慣性方向に運動している先に大地震を予知していたのです。ところが、あなたが何かのきっかけで方向を変えたことによって、大地震のない時空を進むことになったのです。
そのとき予言者は、あなたの進む時空上では信用できない贋物としての設定に変わってしまいました。さまざまないんちきの手法がばれて、社会から抹殺されていくといったふうにさえ展開していくのも、後付的なストーリーのつじつま合わせです。
しかし、もしあなたが慣性方向のままに進んでいたなら、大地震は起きており、あなたがたまたまその場所にいたなら少なからず被害を蒙っていたかも知れません。あるいは他所にいて、大地震の被害を知って、改めてさらに予言者を信用したことでしょう。
具体的にジュセリーノという予言者がいました。あなたが慣性方向をとっていたなら、日本は都市部を襲う巨大地震ですでに混乱していて、世界にも資本主義体制の破綻があって、大統領にはオバマでなくゴアがなっていたことでしょう。
あなたがどこかで、回避すべく動いたのです。その結果、さまざまな付帯する条件や環境も、慣性方向とは変わったものになっているのです。
9. 無限に存在するパラレルワールドは世界創造時点のホログラムの干渉縞に細大漏らさず入っている
パラレルワールドの概念は、実際にタイムマシンで過去未来を行き来したジョン・タイターの語りからお分かりいただけると思います。彼はおそらくほんものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC
------------------------
タイターは、「エヴェレットの多世界は、時間の異なる別の世界線であり、恐らく無限に存在する」といったような解釈を付け加えることによって、タイムトラベルの結果生じる矛盾、いわゆるタイムパラドックスの問題が解決されるとしている。
------------------------
彼のいた時代でもまだパラレルワールドが無限にあるということは確認されていないようですが、タイムマシンの利用効果の検証を通じて、このように解釈せざるをえなくなっているように思われますね。
波動性の源であるホログラムの干渉縞がそれ自体、確率的にとりうる存在位置を示すものであるため、波動であることが、無限数の世界線の集積を示しているわけです。
タイターのタイムマシンは重力制御による効果らしいので、この装置はいま盛んに物理学で議論されている"ひも"の長さを可変にできるところまで進化させているのでしょう。"ひも"を装置と乗り手以上の大きさにして囲んでしまい、装置独自で時間軸を発生させてその向きを与えれば。たとえば今までたどってきた世界線の向きに時間軸を置き、動かせば過去に遡ることができるといったことでしょう。
UFOがタイムトラベラーのものだろうという彼の話はとても納得できますね。しかし、時間と空間は相互変換できますから、空間方向に設定して動かせば、高速で空間移動するUFOともなりうるわけです。
2036年ではまだ開発途上でしょう。移動軸に誤差を生じるというのも、わかる気がします。その結果、幾分か異なる過去に戻ってしまうから、自分がたどってきた過去の時代にはこんなことはなかったはずだといった現象にも遭遇する。もし装置に行程履歴の記録による帰還ルート確保ができなければ、未来に戻るとしても、誤差によりまた異なる未来に出てしまうというわけで、しまいには彼はパラレルワールドの海の放浪者になってしまう、といったことなわけですね。
以上の話で頭の体操をさせていただきました。パラレルワールドのあらまし、わかりましたかね。拙モデル概念も、この発想で行ってますからね。
http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/uchuron.htm
10. タイムマシンやUFOは機能特化させたプロセッサ、いっぽう創造主(人や有情)もけっこうなプロセッサでござるよ
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-854.html
さて、ふぐりさんがまた日月神示の神の言葉を引用されていますね。
この神示には、これからたくさんのおどろおどろしい出来事が起きるぞと、かなり以前に書かれているわけです。
しかし、このたくさんのおどろおどろしい近未来の出来事も、当時、慣性方向をたどってみたときに、設定として置かれていることに気づいた日月という神がいて、メッセージを自動書記として送ってくれたんでしょうね。その時点にいたったときの心構えとか、あるいはどの道を選択したらいいのだとかも含めてですね。
そして、そのメッセージを改めて目にして驚いているいま現実の我々がいる。ということは、未だに我々は、その預言の影響下にある、メッセージも道しるべとしての設定に違いないですから、つまり地雷の設定もこの先にあるだろうことを認識しておくべきでしょう。
しかし、地雷は避けることができますし、あるいは爆発に遭遇しても、爆風を受けずに済むあたりにいればいいわけです。それが世界線の選択によって可能になるということなのです。その逆に、災難と無関係だった世界線をたどっていた人が、何を間違えたか、とつぜん地雷原のほうに方向変えしてくることもむろんあるでしょう。
個々人が創造主である所以はそこにあります。彼が何かを原因として、進行方向を選び取っているのです。
この原因とはいったい何なのか。
その前に、拙モデル概念ではすべての現象の素が神の創造したプログラムという言語表現になっているという前提です。いまのパソコン、オフコンをはじめとしたコンピューターと同じような動作原理やテクニックが使われていると思ってください。そこでは、目的プログラムが流れているとき、盛んにロールイン/アウトが繰り返されています。それも情報の規模が、プロセッサのキャパシティに見合うだけでいいわけなので、さらに細目別にプログラムの側で分化されていたりします。それをサブプログラムと呼びます。
拙モデル概念では、索引念体などという変な造語で表現していますが、これは創造主が次に調査したいと希望した潜在意識的願望のことです。調査対象はむろんプログラムですが、目的別に小さくパッケージ化されていて、それがサブプログラムとかサブルーチンと言われるものです。それを索引念体が願望をキーにしてもっともふさわしいものをローディングしてきて、自分の中で実行して結果をメインプログラムに返します。メインプログラムではさまざまなサブプログラムの結果を集積して処理し、結果をアウトプットするわけです。このときのアウトプットとは、波動というあいまいから一意に行路として確定していること、すなわち過去の事実(歴史)の確定作業なんです。人のレベルで言うなら、人生の描画とでも言いましょうか。
11. プログラム制御の基本は創造主の動作原理をモデル的に示す
プロセッサである創造主たちは動力源がつながっている限りいつまでもプログラムを実行します。パソコンであるなら、電源がきており、シャットダウンされてなければ、何らかのプログラムが実行されているように。
右図は原初のノイマン型モデルにおける割り込み処理の図です。通常の表世界で役立つプログラムが流れているのがP1状態です。ところがI/O動作 (P2,P3)をするときや電源異常の際のシャットダウン処理(P4)をするときには、表のプログラムを後回しにしてでも、優先的にP2〜P4状態のプログラムが動くようになっているのです。それはP1
* 右図に入るべき図がまだ書けてないんです。
当面、似たような図として拙モデル論から抜き出して掲げておきます。
プログラムの大海を航行する我々創造主船乗りは、さしずめP1〜P4の大きな捉え方をしておけば、我々の意識体験の旅にとって有用ではないかと思います。
世界線を慣性方向に通常はたどっているものとしましょう。しかし、別の世界線に乗り換える必要ができたとき、別のプログラムをディスクから探し出して自分の中にローディングしなくてはいけません。このとき監督者に要求が出され(スーパーバイザコール)、P2において検索と読み出しが行われ、P1に戻されるとメモリに収まったプログラムに制御を移します。このとき、彼の世界線は別のプログラムに変更されることになります。
このときの監督者をハイラーキーと考えるか、それとも自分の機能のひとつと考えるかは自由です。
では創造主である彼が突発的に死を迎えたとしましょう。
異常事態発生と捉えた場合、制御はP3に移ります。そこでは彼のプロセッサの機能を損なわないように、次の予備段階のプログラムが用意されています。中陰の手続きがちゃんと。
お花畑に出て、なつかしい匂いがしてきます。やがて彼はふらふらと水辺にやってきて、そこを渡ろうとするといったプログラムです。あるいは死者の書に書かれるようなプロセスをたどるのかも知れません。が、いずれもビジョンを与えるプログラムというわけですね。そこでも、インタラクティブにプログラムとの対話が進み、創造主が次をどうするか決めていくことになります。それはP1状態のふつうの生活においてと同じです。
最近の音信では、アセンションという事象があるようですね。あるいはUFOによる救済もしくは掲挙といったことも。
あっていいでしょう。ご安心ください。
というのも、人が想像できたこと、あるいは人類が予想しえたことはすでにプログラムとして存在しているからです。存在していなければ、想像すらもできないからです。
存在するプログラムの範囲がどの辺までであれ、可能性として実現はしうるのです。確率的にどうかという基準はあるかもしれませんが。
しかし、啓発された人々の中には、思うように世界を組み立てて移行していくトルテックと呼ばれる者もいます。なぜそうするようになったか。それは誰にも訪れるはずの"死"を回避するためだったということです。いっぽう、摂理の側(神)はそのような一行の存在を許しているそうですよ。
------------------------------------
まだ続くはずです。
http://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7214268
http://itsukakit.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7216261
箇条的でなかなかなので、こちらにまとめて掲載します。それと同時に肉付けや補修も行わせてください。
引用開始 (+肉付け+補修)はこれから
------------------------------------
さて、ふぐりさんは人間大砲の話を持ち出して、我々の個々がとりうるパラレルワールドの話へと進めようとされているように思われます。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-848.html
干渉縞のぼやかしのように無数にあるパラレルワールド。すでにみなさんは自分の存在位置を確定することで、過去を確定してきました。
いま現在は確定している現場です。
そして未来は、次の刹那から採りうるルートが無数に存在するパラレル天国になっている。さああなたは、どの天国のドアを開けて中に入りますか。
まてよ。それでは未来選択において、人々が任意の選択をして生きている現状とまったく変わらないじゃないか。
オーノー。まったくそうではありません。
ではその違いを箇条書きにして説明いたしましょう。
1. 試行錯誤するサルから一挙昇格。10階級特進。創造主へとジャンプアップ。
ヒャッハー!!
今までのあなたがたは、一寸先に何が待ち構えるかわからない中で怯えていたサルだったのです。
サルはジャングルにいて、我々は文明生活しているじゃないか、どこにサルだと仰る向きもあろうと思います。いいえ、あなたがたはサルの特別職だっただけ。なぜなら、アスファルトジャングルの中に今目下棲息していますでしょ。そこで仕切られた中で閉じ篭って、ぶるぶる震えているか、見られていないから安心だとやっと安堵しています。それを棲息していると言います。息を潜めているさまが思い浮かびますでしょ。
ところが、それが創造主へとジャンプアップなんです。全能の神が全体像を創った創造主なら、あなたはその中から歴史を一意に確定していく創造主として機能しているのです。どうです。創造神と創造主の関係性にご注目ください。
な・ななな・なにー!!
それでも、一寸先に何が待ち構えるかわからない中で怯えている現実に変わりはないですって? オー。あなたは何という分からず屋なんでしょう。
今までのサルのあなたは、能動的に見えて、実は毎度の試行錯誤の結果に怯え、先回りして悩み苦しみ、いらぬ時間を脳の中のループ状態にある思考回路の堂々巡りに費やしていましたでしょ。欝とかノイローゼとか揶揄されながら。
ところがこれからは、あなたが選び取る行動のひとつひとつが創造主としての行動になるのです。いや、ずっとそうだったんですが、わかっていなかったのです。無論その中には想像行為も含みます。
自分の人生に対して責任感が生じるはずです。さらには創造主であるゆえに、自らの置かれた時空に対しても責任が感じられるはずです。
そして何より、創造神を親兄弟と仰ぐ立場に立てた誇り。これは何万両かけても惜しくはない勲章のようなものではありませんか。
そうなんです。わかってしまった今、あなたを取り巻く世界はぱっとバラ色。うれしうれしの世に変わってしまったのです。
2. 創造神と人間の関係が明確になった。
ヒャッハー!!
全能の神に恐れおののき、自分の行いの小さな重箱の隅を自らつついて毎時毎回すんませんすんませんと、虚空に対して頓首頓々していたあなた。ほら、あなたですよ。あなたのこと。そう。
もう頭を上げなさいよ。見渡して御覧なさい。これを知ったときから、うれしうれしの世が開けたのです。これを夜明けと言います。
創造神と人間の関係が明確にわかったこと。これはみなさんが誇りにしていい創造主の勲章をいただいたことですね。
いいですか。それを可能にしたのはこのモデル概念ですよ。
http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/uchuron.htm
3. アナログからデジタルへ。
ヒャッハー!!
スカイツリーから出されるのは、地デジ電波。非常に高出力なので、付近住民のオツムがどうなるか心配になりますが、これを地上デジタル放送電波と言います。
つまり、いま流行りのデジタル。そう。何でもアナログよりはデジタルのほうがいいと言われる昨今。私は、アナログのほうが微妙な情感が再現できていいんだけど。クリアーになるからデジタルはいいという向きがもっぱらだね。
そう。世界像にも同じことが言える。明確化されるということは、デジタル化されるという意味にも通じるんだ。
神が創った世界の全像は、神の持つ超・超・コンピューターで必要な要素を容れたパラメーターが投入され、あらかじめ計算されて、干渉縞として一気にホログラムメモリに蒸着したんです。
それをよく見れば、神の言語で書かれたプログラム情報だった。さらに細密に見れば、今のコンピューターで扱うような命令語がずらっと並んでいた。それはデジタルなものだった。
映画マトリックスでは、ディスプレイモニターに写るそんなシーンが何度も何度も出てきたよね。
秘教組織は、もしかしたら1983年製の私のアイデアを盗用したのかも知れない。その中から怖い部分を殊更クローズアップさせて、聴衆の好きなアクションと戦争シーンをミックスして、大事な核心的アイデアを暗示させておくということをやっているんです。
4. 神の領分と科学の領分を統一させました。
何と言っても、最大の功績はこれになるでしょう。
今まで人に奇跡が起きたとき、科学は対処困難で、そんなことがあるわけないと無視を決め込むのが常でした。科学者がどうしても論評しなくてはならなくなれば、確率的にきわめてまれに起きることは、今の量子論でも言われていることなのでね、とあいまいに返事している。(しかし、マクロな局面で起きることなどありえない、と心の中では納得していないから、二度と話題にしない。つまり以後は無視する。ところが彼はクリスチャン。教会に行けば、それは神が起こされた奇跡に違いないと神を讃えることは忘れない。つまり、彼の頭の中には、馬と鹿が一線を画して同居している。その状態に矛盾も感じない)
また、奇跡のあった人はまたそれで、神のなされたことと、神への感謝と神への賛美を欠かさない。
彼の精神状態がきっかけで、法則を超えた時空転移をしたというのに、彼は謙虚にも自分がしたのではなく、自分の神への信仰がなさしめたと捉え直すわけです。
これでは、起きた事態の正確な認識はいつまで経ってもできるはずがありません。同じような局面に再度さしかかったとき、奇跡が起きなければ、彼は信仰心が足りなくなったのではないかと自らを疑うことでしょう。
錯誤の上に錯誤が重なる。これを正観できていない、と言います。他力本願の宗教は、正観を妨げることがあるのです。
大丈夫です。神と被造物、そしてそこからアイデアをいただいて歴史創造する創造主の関係をわかりやすく解き明かしました。
5. 遠い宇宙のことに思いをいたさなくてもよくなった。
一生かかっても行けない所。それが宇宙でしょう。むろん好運にも宇宙空間に出る人はいます。しかし、原発事故じゃないけど、かなりの宇宙線被曝をするらしいですね。健康体だったものが、10才早死にすることと引き換えに体験するほどのことかもしれません。
某宗教では、何でも人は神の似姿に造られたそうです。しかし私は、不自由することが多いです。何で手がもっと数備わってないの?と思うことしきりです。大工仕事を一人でするというのは、ほんとうにたいへんなんです。今日も少なくとももう一本あれば、第三の手でここをこう押さえておいて、インパクトでねじを支えながら打ち込めるのに。二本しかないから、まるでサーカスみたいなことやってました。奇跡的にやれましたけど、こんなときは神に感謝すべきなんでしょうかね。
神はどうして進化の極地にありながら、千手観音みたいじゃないんですかねえと思ったことでしょうか。
違うでしょ。四足動物の上に毛を三本増やしただけなもので、ときおり不便に、人は二人で支え合うものといった形になっているんでしょ。
神の似姿なら、空を自由に飛べるはずなのに、それもできない。地に這いつくばって、足で歩いていける範囲に居るようになっていたんでしょ。それを科学技術で便利にして、早く走れたり空を飛んだりする道具を作って、その代わりに生存環境と未来を毀損しながら、何とかここまでやってきたんでしょ。
神のようになりたくて科学を興して、ここまでやってきたんでしょ。しかし、その神は決して推奨していないから、科学が元での災いが起きているわけでしょう。
星空が遠い宇宙を暗示しているからといって、何も行きたがる必要はないでしょう。山に登るのは、そこに山があるからだ。歩く範囲だから、その程度でいいじゃない。宇宙に出るのは、そこに宇宙があるからだ。それはまたUFOが友好的にやってきたときにでも、やればいいことじゃない。
わざわざ用もないのに用を作って無理するから、世界は無理させられてしまうんです。どうしても行きたいなら、あの世に行ってからにしましょう。神にまでなれば、宇宙も自在にいけますよ。
むかし、こんなことがあったらしいです。
シバさんの子にガネーシャ君とスカンダ君がいて、この宇宙を先に三周してきたほうにご褒美をあげようということになりました。足が速く、飛ぶ能力も並外れたスカンダ君が、じゃあ行ってきますと、孔雀の乗り物に乗って出かけていきました。ところがガネーシャ君はいつまで経っても出ようとしません。お母さんのパールバティさんは、こんなことでいいのかしらとちょっと不安げ。それを見てガネーシャ君は、おもむろに、お父さんのシバさんの座ってる周りを三周して、にこっと笑って、終わりました、お父さんこそが宇宙ですから、と言ったので即座に勝ちになったそうです。
これは、とんちじゃなくて、真理なんです。
シバ神の化身サイババさんは、右手の掌に乗るくらいの金の卵を載せて、こう言いました。この中に、全宇宙の初めから終わりまでの歴史が入っています、と。
利発なあなたは悟りましたね。そう、これが宇宙の歴史を記したホログラムメモリだったのです。その中には、すべてのパラレルワールドの素も入っています。実現未実現を問わず、実現の可能性のある時空がみんな詰まっていたんです。時空連続体として。
6. ゲーム性を達観すれば発想も転換する
今ではオンラインゲームなども大流行。だから、やってる人は潜在意識的に悟っている可能性が大です。
今の人生模様も、一種のゲームではないのかと。
それを言うと、命を軽んじるようになるから、よくないんですが、ゲーマーたちは昨今、現実世界にゲーム性を投影しだしていると思います。
その流れにも少なくとも二通りあって、ひとつは精神的安定の一助にすべく、醒めた目で現実を客観視できることがあります。物事に執着しすぎない。淡々としておれる。事態を深刻に考えすぎない。
そのことは、発想の身軽さ、発想転換の変わり身のよさといった利点をもたらします。
たとえば、日本がいよいよ住みにくくなったなと思えば、移住の手を思いつき、行動に移す。考えるんじゃなく、感じることを優先して。手続きがとんとん拍子にいけば、結果はどうあれ、うまくいったこととして享受する。支障がいくつかでてくるようなら、深追いしないで、いい経験になったとしておく。
そこには知らないでいる楽観ではなく、知ってやった上での楽観があって、心すがしい。
http://blogs.yahoo.co.jp/jennifer1215b/32829296.html
別のひとつは現実に対して冷酷に対処するようになる可能性があることです。戦闘を楽しむ。命を軽んじる。殺戮や破壊に対して罪の意識が乏しい。
ほんとうなら、豚に真珠を投げてやるなの喩えが適用されるべきところです。
こんな概念が世界の流行になれば、ゲーマーたちはいっそう現実をその対象にしだします。だから、両刃の剣なのです。
異邦人たちをヘリの中から機銃掃射するのにゲーム感覚でいたり、キレやすい人間やゾンビのような何しでかすかわからない人間を作り出したりします。
http://gamer-movie.tv/
それでなくとも、この世に生まれてきた魂は、けっこうゲーマーであったりします。携帯ゲーム機を四六時中操っていたり、パチンコ店の台の前に所狭しと居並んでいたりと、彼らは生まれる前からゲームの中毒になっていたのかと思われるほどです。
このような魂の持ち主には、精神性を追求すべしと言っても意味をなさず、ゲームであると知っていてさえ、この世に転生を繰り返す御仁たちでしょう。
彼らは、パチンコ店の駐車場に赤子を放置して死なせたことで、大事なものをなくした後悔と懲役刑によって、ようやくゲームから離れる決意をするまで、ゲームに没頭することでしょう。
まさに私たちは、オンラインゲームのバーチャル世界に、人間の形をしたアバターとしてやってきているのです。現時点のオンラインゲームはまだ、自分とアバター、現実とバーチャル世界の区別はつきます。が、ゲームも進化すれば・・・。全身全霊を投入してバーチャル現実を体感するようになることでしょう。
体主霊従とか霊主体従といった話は、ゲーム世界が洗練されてきているから起きるということもわかってくるはずです。
7. 死者の書の代わりにどうぞ
人が死んで、バルド(中陰)のビジョンを彷徨うときも、生前の世界とは異質であるゆえに、見たこともないビジョン展開ひとつで人はパニックを起こすもののようです。
たとえその人の生きた土地が密教の盛んなチベットで、生前にお坊さんから死後の中陰におけるビジョン展開と対処の作法を学んでいても、想像もしなかったビジョンに面食らうようです。というのも、出てくる仏たちの仏画は二次元平面で静止画ですよね。これはいつも寺院で見ていたわけです。ところが、実際は3D でくねくね踊りながら出てくるようですから、瞑想で練習していたのとまったく違うことに面食らうというわけです。
だから、こうしたビジョンで習熟するより、知的に深く理解して、どんなビジョンも実体がないのだからと、公平かつ均質に捉えることのほうがいいわけです。ぜひ、このモデル概念を死者の書代わりのガイドブックにされたらいいかと思います。
というのも、これからはどんな局面で突然他界することになるとも限らないのでね。
8. 予言ははずれたのではない、あなた(創造主)が回避したのだ
その前提として、今まで正確無比な予言を続けていた人物がいたとしましょう。その彼がある未来時点でのある場所での巨大地震発生を予言していたとして、たまたまあなたがその場所にいてその時点の地震を回避できるかといいますと、それはできるのです。
簡単に言えば、経験時空のレールを乗り換えることによって可能です。その予言者は、確かにあなたが慣性方向に運動している先に大地震を予知していたのです。ところが、あなたが何かのきっかけで方向を変えたことによって、大地震のない時空を進むことになったのです。
そのとき予言者は、あなたの進む時空上では信用できない贋物としての設定に変わってしまいました。さまざまないんちきの手法がばれて、社会から抹殺されていくといったふうにさえ展開していくのも、後付的なストーリーのつじつま合わせです。
しかし、もしあなたが慣性方向のままに進んでいたなら、大地震は起きており、あなたがたまたまその場所にいたなら少なからず被害を蒙っていたかも知れません。あるいは他所にいて、大地震の被害を知って、改めてさらに予言者を信用したことでしょう。
具体的にジュセリーノという予言者がいました。あなたが慣性方向をとっていたなら、日本は都市部を襲う巨大地震ですでに混乱していて、世界にも資本主義体制の破綻があって、大統領にはオバマでなくゴアがなっていたことでしょう。
あなたがどこかで、回避すべく動いたのです。その結果、さまざまな付帯する条件や環境も、慣性方向とは変わったものになっているのです。
9. 無限に存在するパラレルワールドは世界創造時点のホログラムの干渉縞に細大漏らさず入っている
パラレルワールドの概念は、実際にタイムマシンで過去未来を行き来したジョン・タイターの語りからお分かりいただけると思います。彼はおそらくほんものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC
------------------------
タイターは、「エヴェレットの多世界は、時間の異なる別の世界線であり、恐らく無限に存在する」といったような解釈を付け加えることによって、タイムトラベルの結果生じる矛盾、いわゆるタイムパラドックスの問題が解決されるとしている。
------------------------
彼のいた時代でもまだパラレルワールドが無限にあるということは確認されていないようですが、タイムマシンの利用効果の検証を通じて、このように解釈せざるをえなくなっているように思われますね。
波動性の源であるホログラムの干渉縞がそれ自体、確率的にとりうる存在位置を示すものであるため、波動であることが、無限数の世界線の集積を示しているわけです。
タイターのタイムマシンは重力制御による効果らしいので、この装置はいま盛んに物理学で議論されている"ひも"の長さを可変にできるところまで進化させているのでしょう。"ひも"を装置と乗り手以上の大きさにして囲んでしまい、装置独自で時間軸を発生させてその向きを与えれば。たとえば今までたどってきた世界線の向きに時間軸を置き、動かせば過去に遡ることができるといったことでしょう。
UFOがタイムトラベラーのものだろうという彼の話はとても納得できますね。しかし、時間と空間は相互変換できますから、空間方向に設定して動かせば、高速で空間移動するUFOともなりうるわけです。
2036年ではまだ開発途上でしょう。移動軸に誤差を生じるというのも、わかる気がします。その結果、幾分か異なる過去に戻ってしまうから、自分がたどってきた過去の時代にはこんなことはなかったはずだといった現象にも遭遇する。もし装置に行程履歴の記録による帰還ルート確保ができなければ、未来に戻るとしても、誤差によりまた異なる未来に出てしまうというわけで、しまいには彼はパラレルワールドの海の放浪者になってしまう、といったことなわけですね。
以上の話で頭の体操をさせていただきました。パラレルワールドのあらまし、わかりましたかね。拙モデル概念も、この発想で行ってますからね。
http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/uchuron.htm
10. タイムマシンやUFOは機能特化させたプロセッサ、いっぽう創造主(人や有情)もけっこうなプロセッサでござるよ
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-854.html
さて、ふぐりさんがまた日月神示の神の言葉を引用されていますね。
この神示には、これからたくさんのおどろおどろしい出来事が起きるぞと、かなり以前に書かれているわけです。
しかし、このたくさんのおどろおどろしい近未来の出来事も、当時、慣性方向をたどってみたときに、設定として置かれていることに気づいた日月という神がいて、メッセージを自動書記として送ってくれたんでしょうね。その時点にいたったときの心構えとか、あるいはどの道を選択したらいいのだとかも含めてですね。
そして、そのメッセージを改めて目にして驚いているいま現実の我々がいる。ということは、未だに我々は、その預言の影響下にある、メッセージも道しるべとしての設定に違いないですから、つまり地雷の設定もこの先にあるだろうことを認識しておくべきでしょう。
しかし、地雷は避けることができますし、あるいは爆発に遭遇しても、爆風を受けずに済むあたりにいればいいわけです。それが世界線の選択によって可能になるということなのです。その逆に、災難と無関係だった世界線をたどっていた人が、何を間違えたか、とつぜん地雷原のほうに方向変えしてくることもむろんあるでしょう。
個々人が創造主である所以はそこにあります。彼が何かを原因として、進行方向を選び取っているのです。
この原因とはいったい何なのか。
その前に、拙モデル概念ではすべての現象の素が神の創造したプログラムという言語表現になっているという前提です。いまのパソコン、オフコンをはじめとしたコンピューターと同じような動作原理やテクニックが使われていると思ってください。そこでは、目的プログラムが流れているとき、盛んにロールイン/アウトが繰り返されています。それも情報の規模が、プロセッサのキャパシティに見合うだけでいいわけなので、さらに細目別にプログラムの側で分化されていたりします。それをサブプログラムと呼びます。
拙モデル概念では、索引念体などという変な造語で表現していますが、これは創造主が次に調査したいと希望した潜在意識的願望のことです。調査対象はむろんプログラムですが、目的別に小さくパッケージ化されていて、それがサブプログラムとかサブルーチンと言われるものです。それを索引念体が願望をキーにしてもっともふさわしいものをローディングしてきて、自分の中で実行して結果をメインプログラムに返します。メインプログラムではさまざまなサブプログラムの結果を集積して処理し、結果をアウトプットするわけです。このときのアウトプットとは、波動というあいまいから一意に行路として確定していること、すなわち過去の事実(歴史)の確定作業なんです。人のレベルで言うなら、人生の描画とでも言いましょうか。
11. プログラム制御の基本は創造主の動作原理をモデル的に示す
プロセッサである創造主たちは動力源がつながっている限りいつまでもプログラムを実行します。パソコンであるなら、電源がきており、シャットダウンされてなければ、何らかのプログラムが実行されているように。
右図は原初のノイマン型モデルにおける割り込み処理の図です。通常の表世界で役立つプログラムが流れているのがP1状態です。ところがI/O動作 (P2,P3)をするときや電源異常の際のシャットダウン処理(P4)をするときには、表のプログラムを後回しにしてでも、優先的にP2〜P4状態のプログラムが動くようになっているのです。それはP1
* 右図に入るべき図がまだ書けてないんです。
当面、似たような図として拙モデル論から抜き出して掲げておきます。
プログラムの大海を航行する我々創造主船乗りは、さしずめP1〜P4の大きな捉え方をしておけば、我々の意識体験の旅にとって有用ではないかと思います。
世界線を慣性方向に通常はたどっているものとしましょう。しかし、別の世界線に乗り換える必要ができたとき、別のプログラムをディスクから探し出して自分の中にローディングしなくてはいけません。このとき監督者に要求が出され(スーパーバイザコール)、P2において検索と読み出しが行われ、P1に戻されるとメモリに収まったプログラムに制御を移します。このとき、彼の世界線は別のプログラムに変更されることになります。
このときの監督者をハイラーキーと考えるか、それとも自分の機能のひとつと考えるかは自由です。
では創造主である彼が突発的に死を迎えたとしましょう。
異常事態発生と捉えた場合、制御はP3に移ります。そこでは彼のプロセッサの機能を損なわないように、次の予備段階のプログラムが用意されています。中陰の手続きがちゃんと。
お花畑に出て、なつかしい匂いがしてきます。やがて彼はふらふらと水辺にやってきて、そこを渡ろうとするといったプログラムです。あるいは死者の書に書かれるようなプロセスをたどるのかも知れません。が、いずれもビジョンを与えるプログラムというわけですね。そこでも、インタラクティブにプログラムとの対話が進み、創造主が次をどうするか決めていくことになります。それはP1状態のふつうの生活においてと同じです。
最近の音信では、アセンションという事象があるようですね。あるいはUFOによる救済もしくは掲挙といったことも。
あっていいでしょう。ご安心ください。
というのも、人が想像できたこと、あるいは人類が予想しえたことはすでにプログラムとして存在しているからです。存在していなければ、想像すらもできないからです。
存在するプログラムの範囲がどの辺までであれ、可能性として実現はしうるのです。確率的にどうかという基準はあるかもしれませんが。
しかし、啓発された人々の中には、思うように世界を組み立てて移行していくトルテックと呼ばれる者もいます。なぜそうするようになったか。それは誰にも訪れるはずの"死"を回避するためだったということです。いっぽう、摂理の側(神)はそのような一行の存在を許しているそうですよ。
------------------------------------
まだ続くはずです。
イザナギ人類に栄えあれ
旧世界に残る人と新時代に移行する人については、古事記にも書かれるところです。
黄泉の国のイザナミ黄泉神に属する側と、脱出するイザナギに属する側としてです。
今はまだその分離がはっきりしていませんが、どうもそれらしい兆しのような現象には遭遇します。
たとえば、これは個人的なことではありますが、私は食をさほど必要としていないようなのです。
ここ一二ヶ月くらいのことですが、あるとき飽食して翌日におなかがどっと前面に突き出て、いわゆるメタボ腹になったのです。
これではしんどいからと、食を細くしたのです。すると収まりかけたものの、一日三食の規律を守るとやはりメタボ腹になってしまいます。
夕食にでんぷん類を控えても、水分だけでおなかはでているみたいです。
食欲はさほどないのに、食べる癖をつけていることが問題なようです。
水分補給は私には必要なことなので、取り去ることはできなくても、食はしなくても済むのではないか。
たしかに、食べなくてもそれほど体調に変化はない。
どうも、そのような事態が時間の催しとして進行してきている気がします。
黄泉を脱出したイザナギは、川に出て禊ぎをします。
そのときに持ち物すべてを投げ捨てるのですが、冠を投げ捨てたとき、"飽咋のうし(あきぐひのうし)"の神が生じます。
この神名は「飽食の消失」という意味で、衣を投げ捨てたときに生まれる"煩ひのうし"の神の意味する「煩いごとの消失」とともに、イザナギ側に赴く者の特徴であるような気がします。
http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/dan-f.htm
食べなくてはいけないと思っているのは、もしかすると惰性による思い込みなのかも知れない。
煩いがなくてはいけないと思っているのは、もしかすると惰性による思い込みではなかったのか。
今までの延長上でなくなっているなら、別の展開がなくてはなりませんが、こんなところにちょっこっと芽を出しているのかも知れません。
以前に「不食」について仮説したことがありましたが(2001年頃だったか)、その頃すでに先達している人がいたゆえに、取り上げたのではなかったでしょうか。
おりしも、日本を取り巻く海は放射能汚染が進行中。海産物を利用した料亭やレストランは大打撃でしょう。
大金を湯水のごとく使って料亭に出入りしていたかたがたは行き場を失いますわね。これも飽食(あきぐい)のうし状態と言います。
誰もが海で捕れるものには警戒しますから、スーパーの鮮魚コーナーなどは売れ行きが減っていることでしょう。
この傾向が野菜などの生鮮食料品にまで広がってくることは避けられないこと。
それと同時並行的に、食べなくても問題ないことがわかってきているとすれば・・・。
原発事故も、時代の変化点を示唆する道しるべ(舞台設定)だったことになりはしないでしょうか。
食事をするために仕事をしなくてはならなかった。それをいいことに、資本家や企業家はお金儲けもできたんです。しかし、従業員がすべて、この現象に気づいたなら、もしその会社があこぎな金儲けだけに奔走していたところなら、「何でこんなとこであくせく働かなあかんの」とさっさと逃げてしまうでしょう。
残るのは、世のため人のため、あるいは芸術性創造性ある人にとっての有意義な仕事をしている会社だけ。そうなっていくことでしょう。
漁業は早くから姿を消していたが、農業生産もやがて要らなくなる。
世の中から、"業"とつくものがなくなってしまう。"業"につきもののお金も不要になってしまう。"業"を回そうとしていた、くだらない"金貸し"も消失してしまう。
義務的にする仕事の必要がなくなれば、その土地に縛りついている必要もなくなり、どこへでも出かけられる。
我々がするのは、趣味でする"釣り"ぐらいになり、これも殺生だからと、この趣味も衰退するでしょう。農業ではない"農"をするようになります。そこでは花や木を主体とした鑑賞のための、野良仕事とは異なる光景が生まれてくることでしょう。
イザナギが船頭(先導)を務める新世界の船は、すべての過去の思い込みや惰性を洗い流した先の大海原を航海していきます。
黄泉の国のイザナミ黄泉神に属する側と、脱出するイザナギに属する側としてです。
今はまだその分離がはっきりしていませんが、どうもそれらしい兆しのような現象には遭遇します。
たとえば、これは個人的なことではありますが、私は食をさほど必要としていないようなのです。
ここ一二ヶ月くらいのことですが、あるとき飽食して翌日におなかがどっと前面に突き出て、いわゆるメタボ腹になったのです。
これではしんどいからと、食を細くしたのです。すると収まりかけたものの、一日三食の規律を守るとやはりメタボ腹になってしまいます。
夕食にでんぷん類を控えても、水分だけでおなかはでているみたいです。
食欲はさほどないのに、食べる癖をつけていることが問題なようです。
水分補給は私には必要なことなので、取り去ることはできなくても、食はしなくても済むのではないか。
たしかに、食べなくてもそれほど体調に変化はない。
どうも、そのような事態が時間の催しとして進行してきている気がします。
黄泉を脱出したイザナギは、川に出て禊ぎをします。
そのときに持ち物すべてを投げ捨てるのですが、冠を投げ捨てたとき、"飽咋のうし(あきぐひのうし)"の神が生じます。
この神名は「飽食の消失」という意味で、衣を投げ捨てたときに生まれる"煩ひのうし"の神の意味する「煩いごとの消失」とともに、イザナギ側に赴く者の特徴であるような気がします。
http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/dan-f.htm
食べなくてはいけないと思っているのは、もしかすると惰性による思い込みなのかも知れない。
煩いがなくてはいけないと思っているのは、もしかすると惰性による思い込みではなかったのか。
今までの延長上でなくなっているなら、別の展開がなくてはなりませんが、こんなところにちょっこっと芽を出しているのかも知れません。
以前に「不食」について仮説したことがありましたが(2001年頃だったか)、その頃すでに先達している人がいたゆえに、取り上げたのではなかったでしょうか。
おりしも、日本を取り巻く海は放射能汚染が進行中。海産物を利用した料亭やレストランは大打撃でしょう。
大金を湯水のごとく使って料亭に出入りしていたかたがたは行き場を失いますわね。これも飽食(あきぐい)のうし状態と言います。
誰もが海で捕れるものには警戒しますから、スーパーの鮮魚コーナーなどは売れ行きが減っていることでしょう。
この傾向が野菜などの生鮮食料品にまで広がってくることは避けられないこと。
それと同時並行的に、食べなくても問題ないことがわかってきているとすれば・・・。
原発事故も、時代の変化点を示唆する道しるべ(舞台設定)だったことになりはしないでしょうか。
食事をするために仕事をしなくてはならなかった。それをいいことに、資本家や企業家はお金儲けもできたんです。しかし、従業員がすべて、この現象に気づいたなら、もしその会社があこぎな金儲けだけに奔走していたところなら、「何でこんなとこであくせく働かなあかんの」とさっさと逃げてしまうでしょう。
残るのは、世のため人のため、あるいは芸術性創造性ある人にとっての有意義な仕事をしている会社だけ。そうなっていくことでしょう。
漁業は早くから姿を消していたが、農業生産もやがて要らなくなる。
世の中から、"業"とつくものがなくなってしまう。"業"につきもののお金も不要になってしまう。"業"を回そうとしていた、くだらない"金貸し"も消失してしまう。
義務的にする仕事の必要がなくなれば、その土地に縛りついている必要もなくなり、どこへでも出かけられる。
我々がするのは、趣味でする"釣り"ぐらいになり、これも殺生だからと、この趣味も衰退するでしょう。農業ではない"農"をするようになります。そこでは花や木を主体とした鑑賞のための、野良仕事とは異なる光景が生まれてくることでしょう。
イザナギが船頭(先導)を務める新世界の船は、すべての過去の思い込みや惰性を洗い流した先の大海原を航海していきます。
支族の証明
In deepさんの記事、すばらしいです。
http://oka-jp.seesaa.net/article/194784607.html
神の怒りだ、大地の怒りだ、カルマの結果だといった考え方は、当たらないでしょう。
神や大地にひれ伏すことも、過去の罪を悔いることも、まったく無関係であるという東北人の自然さがそれを物語っています。
ではこの人々が負った宿命があるとすればなんなのか。目的とも言い換えられるものでもあります。
その目的をどうしても推理してしまうのが私の性質なのですが、きっとIn deepさんとは異なり、やや下卑た考えになってしまうように思いますが、
これは壮大な実験ではないかと思います。
いったい、この民族は何者なのか、どんな特質を持っているのか、存続可能な種族なのか不可能な種族なのか、生理的にも精神的にもいかなる動きをするのか。
このようなことが、どこかこの世の壁の向こうのようなところから計測されているといった感を持ってしまうのです。
マトリックスだから、当然そうであっても仕方ない。そういう発想の下地があるので、推理が下卑てしまうのも仕方ないと思ってください。
で、彼らはどうだったのか。どう判定されているのか。
大地が毎日毎時のように揺れても、彼らはその場から逃げ出そうとしない。
もし支族なら、長い漂泊の経過を辿ったDNAを持つから、移動することにはためらいはないはず。
しかし、まるでそこが安住の地であるかのように動かない。大地が震度6に揺られ、放射能濃度が高まっているという噂や事実論にも動かされない。家族が居なくても、子供がたくさんいても、変わりはない。
政府が強制退去させるまで、きっとそこにい続けるでしょう。
それは、彼らが平安の都エルサレムを見つけてしまったからではないのか。
厳冬と積雪の自然界の厳しさ、またしきたりや掟の厳しさから、どう見ても、場所が要因ではない。
きっとそれは、心の中にあるエルサレムであるため、現実の場所には無関係なのではなかろうか。
何かすでに悟っている。諦観のように見えるが、生きる気概が立ち昇っている。すべてを失ってなお。
魂の成長だけが獲得できる平安の都が、東北人の心の中にはあるように思えます。
その性質が日本人全体のものであるかどうかは、まもなくわかってくることでしょう。
産業、企業活動はあらゆる場所で壊滅的状況です。
生活用品不足が被災地ばかりでなく、日本全体に及んでくることでしょう。
失業者も増大し、インフレも半端なものではなくなりそうです。
武士道が定着できた民族性がどのようなものだったか、世界は見届けることになるかもしれません。
そのときに、あの国はバビロンなどでは決してなかったと感じていただければ幸甚。
http://oka-jp.seesaa.net/article/194784607.html
神の怒りだ、大地の怒りだ、カルマの結果だといった考え方は、当たらないでしょう。
神や大地にひれ伏すことも、過去の罪を悔いることも、まったく無関係であるという東北人の自然さがそれを物語っています。
ではこの人々が負った宿命があるとすればなんなのか。目的とも言い換えられるものでもあります。
その目的をどうしても推理してしまうのが私の性質なのですが、きっとIn deepさんとは異なり、やや下卑た考えになってしまうように思いますが、
これは壮大な実験ではないかと思います。
いったい、この民族は何者なのか、どんな特質を持っているのか、存続可能な種族なのか不可能な種族なのか、生理的にも精神的にもいかなる動きをするのか。
このようなことが、どこかこの世の壁の向こうのようなところから計測されているといった感を持ってしまうのです。
マトリックスだから、当然そうであっても仕方ない。そういう発想の下地があるので、推理が下卑てしまうのも仕方ないと思ってください。
で、彼らはどうだったのか。どう判定されているのか。
大地が毎日毎時のように揺れても、彼らはその場から逃げ出そうとしない。
もし支族なら、長い漂泊の経過を辿ったDNAを持つから、移動することにはためらいはないはず。
しかし、まるでそこが安住の地であるかのように動かない。大地が震度6に揺られ、放射能濃度が高まっているという噂や事実論にも動かされない。家族が居なくても、子供がたくさんいても、変わりはない。
政府が強制退去させるまで、きっとそこにい続けるでしょう。
それは、彼らが平安の都エルサレムを見つけてしまったからではないのか。
厳冬と積雪の自然界の厳しさ、またしきたりや掟の厳しさから、どう見ても、場所が要因ではない。
きっとそれは、心の中にあるエルサレムであるため、現実の場所には無関係なのではなかろうか。
何かすでに悟っている。諦観のように見えるが、生きる気概が立ち昇っている。すべてを失ってなお。
魂の成長だけが獲得できる平安の都が、東北人の心の中にはあるように思えます。
その性質が日本人全体のものであるかどうかは、まもなくわかってくることでしょう。
産業、企業活動はあらゆる場所で壊滅的状況です。
生活用品不足が被災地ばかりでなく、日本全体に及んでくることでしょう。
失業者も増大し、インフレも半端なものではなくなりそうです。
武士道が定着できた民族性がどのようなものだったか、世界は見届けることになるかもしれません。
そのときに、あの国はバビロンなどでは決してなかったと感じていただければ幸甚。
世を動かす者の正体
http://takeyama-y.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-2ef7.html
ここに出てくる黒澤映画は、前にYoutube映像として紹介をしたことがありましたか。
しかし、世に出なかった映画だったとのこと。しかも現在、残っているのは一本だけということのようです。
記事の中の井口氏のブログ記事はここですが、
http://quasimoto.exblog.jp/14559573/
彼が指摘する言葉
「はたして黒澤明監督が「正夢」を見たのか? あるいは、欧米のイルミナティーNWOシオニストがこの「夢」を見ていて、連中のお家芸の「象徴的儀式的殺人」をしようとしているのだろうか?」
の後者の意見にいささか心当たりがあります。
私は人間の集団(あるいは組織)のしている行為のレベルではないと思います。
もしそれが人間の仕業なら、よほどの遠隔コントロールもしくは憑依のようなことができる超能力者的存在であろうと推測しますが、どうもそのような者ではなかろうと思うのです。
以前書いたブログ記事に解答らしきものを出しています。(気味の悪い話です)
http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-100.html
このときは、私の書いたほとんど世に出ていない本が用いられた感があります。
そこから分かることは、この世の支配者は私たちが想像するような神ではないこと。
むしろ映画マトリックスに語られるような設計者の支配下に私たちの歴史あるいは人生は属しているということ。
その設計者は異界にあって、私たちのすることをことごとく知り尽くしていること。
彼の存在に嫌悪していても理解を及ぼす者に意外と寛容であること。
また、究明し理解しようと努力する者に解答を用意したりもすること。
その限りにおいて、彼はこのような者を庇護すること。
こうした属性を持ったむしろ悪魔のような存在こそが世の支配者の本質であろうと思うわけです。
現在、この本のシナリオ通りに歴史は進行しています。
大娼婦バビロンはどうやら日本になりそうです。
福島原発災害を見て、ふとそう思います。
とすれば、歴史の終局時点でUFOも関わってくることでしょう。
それは正義とか邪悪とかのレベルで出てくるのではなく、歴史を表出させる「設定」として出てくるのです。
まさにRPGゲームの世界が目の前にあります。
「設定」の意味はここを参考にどうぞ。
http://www.unity-design.jp/unity_slowlifecafe/slc06_saigai/slc0605_vision/slc060%82T_vision.html
その中の、
>皆んな、皆んなは生きてよ。いきてくれ。生きなくちゃ。
> おれ、そろそろ行かなくちゃだけど、おれは、設定だから。
この「設定」とは、ちょうどゲームの中に出てくる、その場面に至ったときの「道標」という意味です。
しかし、この本のシナリオは、古事記を解釈した結果のものであり、あくまでも旧神話、旧態次元に属するものです。製作したのは1995年ですから、それ以前の古事記の旧神話に従った世界観に基づきます。
それに対して、2000年から私は新神話を編み始めました。これは旧神話という人類への押し着せ的理念の垂迹を解除するとともに、新しい世界観による新しい時代の招来を導くための、改訂されたシナリオになります。
そうは規定するものの、やはりこの世界は人類が集合して作っていくようにできています。
個々人が進路選択していくタイプのRPGゲームではあるのですが、歴史の大枠の下地は人類が集合して選択していくようになっています。大枠の下地の与える可能性の中から、個々人は自由意志で選び取ることになっているのです。
たとえば第三次世界大戦という世界的大動乱の大枠が与えられているなら、その環境の中に置かれることは仕方ないこととなります。(人類の合わせている焦点から脱してしまう人も稀にいますが)
新神話では第三次大戦を回避していないのか、という問いもあろうと思います。
新神話は、次の時代に邪悪とその種を持ち越さないことを前提にしています。
新時代では、ひとつの戦争もあるべきではない。それゆえ、第三次大戦が人々の心に潜む邪悪の種を根絶するものなら、実験的にも試されることでしょう。新時代では、間違った価値観の台頭を許してはならない。それゆえ、バビロン崩壊が人々の心に潜む邪悪の種を根絶するものなら、実験的にも試されることでしょう。そのためにあえて犠牲になるべく生まれてきた魂も多数います。
UFOは新時代においてはごく当たり前の存在になります。彼らはかつて精霊として知られた造形能力者で、人々の利便を補助していました。簡単にしてしまえる「破壊」に対して、拮抗できる完全な「建設」を賄える摂理が彼らだったのです。
ところが、この世界(時代)の始まりにおいて、邪神がクーデターをして支配的となった時点で、彼らは撤退してしまい、邪神はこれをいいことに、人々から彼らの音信を遠ざけました。
人々の誰しもが、自分たちでは対処不可能だ、神でもUFOでもいいから助けに来てほしいと心から願ったとき、精霊が神かUFOの形をとって救済摂理として活動します。
しかし人々は、なかなか自分の力を手放そうとはしません。個々の場合を見ても、最後まで自己責任として抗うケースが多いです。あるいは無知のまま。
私は4月7日朝明るくなってから、まだ眠りの中にあって、テレビニュースを聞きながら、今の人類には滅亡する以外に世を打開することはできないと判断し、そこまでやってきている星の子UFOたちに地上の広大な大地に舞い降りてもらいました。ありありと観想できました。数百のUFOが隊列を作って待機状態に入りました。
彼らは、最も適切な頃合を見て、力を発揮してくれるでしょう。その頃合を見るアンテナの役をするのが、我々個々人になります。個別に現れてくることもあるでしょうが、普通には大域的に現れてくることでしょう。
ここに出てくる黒澤映画は、前にYoutube映像として紹介をしたことがありましたか。
しかし、世に出なかった映画だったとのこと。しかも現在、残っているのは一本だけということのようです。
記事の中の井口氏のブログ記事はここですが、
http://quasimoto.exblog.jp/14559573/
彼が指摘する言葉
「はたして黒澤明監督が「正夢」を見たのか? あるいは、欧米のイルミナティーNWOシオニストがこの「夢」を見ていて、連中のお家芸の「象徴的儀式的殺人」をしようとしているのだろうか?」
の後者の意見にいささか心当たりがあります。
私は人間の集団(あるいは組織)のしている行為のレベルではないと思います。
もしそれが人間の仕業なら、よほどの遠隔コントロールもしくは憑依のようなことができる超能力者的存在であろうと推測しますが、どうもそのような者ではなかろうと思うのです。
以前書いたブログ記事に解答らしきものを出しています。(気味の悪い話です)
http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-100.html
このときは、私の書いたほとんど世に出ていない本が用いられた感があります。
そこから分かることは、この世の支配者は私たちが想像するような神ではないこと。
むしろ映画マトリックスに語られるような設計者の支配下に私たちの歴史あるいは人生は属しているということ。
その設計者は異界にあって、私たちのすることをことごとく知り尽くしていること。
彼の存在に嫌悪していても理解を及ぼす者に意外と寛容であること。
また、究明し理解しようと努力する者に解答を用意したりもすること。
その限りにおいて、彼はこのような者を庇護すること。
こうした属性を持ったむしろ悪魔のような存在こそが世の支配者の本質であろうと思うわけです。
現在、この本のシナリオ通りに歴史は進行しています。
大娼婦バビロンはどうやら日本になりそうです。
福島原発災害を見て、ふとそう思います。
とすれば、歴史の終局時点でUFOも関わってくることでしょう。
それは正義とか邪悪とかのレベルで出てくるのではなく、歴史を表出させる「設定」として出てくるのです。
まさにRPGゲームの世界が目の前にあります。
「設定」の意味はここを参考にどうぞ。
http://www.unity-design.jp/unity_slowlifecafe/slc06_saigai/slc0605_vision/slc060%82T_vision.html
その中の、
>皆んな、皆んなは生きてよ。いきてくれ。生きなくちゃ。
> おれ、そろそろ行かなくちゃだけど、おれは、設定だから。
この「設定」とは、ちょうどゲームの中に出てくる、その場面に至ったときの「道標」という意味です。
しかし、この本のシナリオは、古事記を解釈した結果のものであり、あくまでも旧神話、旧態次元に属するものです。製作したのは1995年ですから、それ以前の古事記の旧神話に従った世界観に基づきます。
それに対して、2000年から私は新神話を編み始めました。これは旧神話という人類への押し着せ的理念の垂迹を解除するとともに、新しい世界観による新しい時代の招来を導くための、改訂されたシナリオになります。
そうは規定するものの、やはりこの世界は人類が集合して作っていくようにできています。
個々人が進路選択していくタイプのRPGゲームではあるのですが、歴史の大枠の下地は人類が集合して選択していくようになっています。大枠の下地の与える可能性の中から、個々人は自由意志で選び取ることになっているのです。
たとえば第三次世界大戦という世界的大動乱の大枠が与えられているなら、その環境の中に置かれることは仕方ないこととなります。(人類の合わせている焦点から脱してしまう人も稀にいますが)
新神話では第三次大戦を回避していないのか、という問いもあろうと思います。
新神話は、次の時代に邪悪とその種を持ち越さないことを前提にしています。
新時代では、ひとつの戦争もあるべきではない。それゆえ、第三次大戦が人々の心に潜む邪悪の種を根絶するものなら、実験的にも試されることでしょう。新時代では、間違った価値観の台頭を許してはならない。それゆえ、バビロン崩壊が人々の心に潜む邪悪の種を根絶するものなら、実験的にも試されることでしょう。そのためにあえて犠牲になるべく生まれてきた魂も多数います。
UFOは新時代においてはごく当たり前の存在になります。彼らはかつて精霊として知られた造形能力者で、人々の利便を補助していました。簡単にしてしまえる「破壊」に対して、拮抗できる完全な「建設」を賄える摂理が彼らだったのです。
ところが、この世界(時代)の始まりにおいて、邪神がクーデターをして支配的となった時点で、彼らは撤退してしまい、邪神はこれをいいことに、人々から彼らの音信を遠ざけました。
人々の誰しもが、自分たちでは対処不可能だ、神でもUFOでもいいから助けに来てほしいと心から願ったとき、精霊が神かUFOの形をとって救済摂理として活動します。
しかし人々は、なかなか自分の力を手放そうとはしません。個々の場合を見ても、最後まで自己責任として抗うケースが多いです。あるいは無知のまま。
私は4月7日朝明るくなってから、まだ眠りの中にあって、テレビニュースを聞きながら、今の人類には滅亡する以外に世を打開することはできないと判断し、そこまでやってきている星の子UFOたちに地上の広大な大地に舞い降りてもらいました。ありありと観想できました。数百のUFOが隊列を作って待機状態に入りました。
彼らは、最も適切な頃合を見て、力を発揮してくれるでしょう。その頃合を見るアンテナの役をするのが、我々個々人になります。個別に現れてくることもあるでしょうが、普通には大域的に現れてくることでしょう。
いまどのへんか
現時点が新神話の筋書きのどのあたりにあるかは不明ですが、このあたりの筋書きが大枠で近似しているものと思います。
新神話第六章より
-------------------------------------------------
天尊は、煙る泉から浮き上がってきた蚊とんぼのような宇宙船を指でつまむと、地球め
がけて放り投げた。
それは、海の上に青い光芒を引いて落ちていった。
天尊:「それに伴ない霧人仙のグループにさせておいた終局計画をとりやめにする。
切り替わったこの新たな計画を計画の最後に置く。次代はもはやない。
あるのは、分離を果たした先の未来。そこにいまこの世界で遊ぶ魂たちを可能な限り掻
き集めて収容する。
いわば、彼らは人質だ。梵天はこれで手も脚も出ない。分離計画を早めるべく、ハーデ
ース計画を濃縮して実施に移すこととしたい」
霧人仙グループとは、地球上の歴史の随所に、終局計画の神話を置き残した者たちであ
る。
黙示録や末法思想などがそれである。彼らは、人間世には希望乏しく、人類には滅亡が
必至であり、その先に輝かしい時代が来ることを述べ伝える役目を担っていた。
そしていずれ関連する別のグループが、天尊によってプログラムされたスケジュールを
こなすことになっていたのである。
「ということは、最後の審判という、時代の最後を飾るフィナーレはないのでしょう
か?」
天尊:「何を聞いておるのか。意趣を覚れん奴だな。最後の審判というもの自体、蓄積
された反作用を帰零するものである。
だから、反作用の蓄積を利用する我々にとっては、そのようなものは無用のものとなる
のだ」
かつて言われていた最後の審判とは、地球に限られたものであった。ところが、もしそ
れがあるとすれば、これからは実験炉宇宙全体を対象にすることになろう。
観測するいちいちのものにとっては同じように捉えられても、意味するところはまった
く違う。天仙の意向に沿ったものたちは、反世界に行ってしまう可能性がある。
そこは階層構造でなるガチガチの闇の帝国となる。
外泰仙:「かつての最後の審判の行程に関わるよう命令されていたスサノオはいかがい
たしましょう」
天尊:「地球の目付役の立場から、異存を唱えてくるかも知れぬから、いま火の鳥と戦
わせているところだ。
何せ火の鳥は予定外の行動を取る不穏な節理だから、異常事態には断固立ち向かわせね
ばな。そこで忙殺されるだろう」
外泰仙:「では、面倒は起こさないですね」
井堂仙:「ならば、今からハーデース計画を行うということで・・」
外泰仙:「分かりました。では、実施グループの選抜を行います」
天尊:「うむ」
次の週の天仙全体会議には、千数百名の天仙が集まっていた。いつにない強力な結界が
張られたことと、今回の天尊の決定を入場時の司会者からあらかじめ聞き、がやがやと
興奮気味にしゃべりあっている。
「いよいよ地獄の釜の蓋を開くのだな」
「もはや次期計画は、地獄の名主を招請する程度ではなく、宇宙のカオス極大化を賭け
て地獄の獄卒たちをすべて解放してしまおうというわけだ。
そして、世界全体に巻き起こる一気呵成の腐敗堕落により、すべての魂の腐敗を誘い、
それをもとに反作用を一気に許容限度まで蓄積させてしまおうということらしい」
「それはまるで、なみなみとたたえられた汚物溜を実験炉宇宙にぶちまけるようなこと
になるだろうな。
この実験炉宇宙は、手のつけられない状態になるぞ。最後の審判があるとすれば、完全
に系を分離する一大事となるわけだ。
これが人間なら、同じ最後の審判と捉えることであろうが、ちと意味が違う。
老いも若きも、高下貴賎を問わず、よほどこの世を嫌がっていない限り、みんな我らの
支配下に置かれるのだ。
そのとき、わずかな罪を悔やんでも遅いというわけだ」
「獄卒たちの訓練された中には、まだ実験段階の残虐性を持つものが多いと聞くが、ど
んなふうなのか」
「それは目を覆うようなすさまじく凄惨で残虐な奴だ。いろんなものを見てきたわしで
さえも、やめてくれと言いたくなるような奴だ。
だからこそ、今回のカオス極大化には欠かせないのだろう」
「あの臭いのはかなわんが、わしらも魂を糞まみれにして堕落するのかの」
「わしらが歴史の金字塔として建てた記念碑や偶像はもったいない気がするが、みんな
打ち捨てていかねばなるまい」
「まだ我々は、高みの見物であるだけにましだ。しかも指導者であるだけにな」
「そうそう、付き従う人間どもは哀れだのう」
「馬鹿者。同情など禁物だ。チュウや妙義仙のようになるぞ」
「我々は、梵の全系とおさらばするのだ」
やがて議長が挨拶した。
「ええ、静まって。今回は緊急臨時会議であり、誰も欠席は許されておりません。
もし、この場にいないものあらば、後で報告願います。
さて、すでに噂が伝わっておりますように、ハーデース計画を実施します。
いよいよ、我々の分離独立に向けた運動も、佳境に入るわけです。
今ここで、皆様の士気のほどを確かめておきたく思います。ではみなさん、ご唱和を。
ハーデースプロジェクト、フレー、フレー」
「フレーフレーハーデース、フレーフレーハーデース、ワー」
パチパチパチパチ・・・・。
その間に元始天尊が中央の席についた。
天尊:
「みなの者。我々の主張は梵天によってことごとく退けられた。
それゆえいつ何時外部から破綻させられるやも分からぬ状況にある。
ファウンデーションの多くは壊滅寸前の状況にある。ここを最後の砦とせねばならぬ。
事は急を要することとなった。ハーデース計画を、直ちにこなさねばならない。
それによって新境を切り開く。すでに開いている地獄の釜の蓋は、一層から四層であり、
わずかに開き、抜擢されたものだけを解放してきた経過がある。
だが、それはもはや全開とする。加えて五層、六層を開き、七層を小出しに開けて、少
し長い時を刻ませるようにしたい。
過激に過ぎると、外野が動き出す。それゆえ、究極段階になって一気解放する。
この役目のうち五と六は、張林仙のグループに任せる。七層は、いささか手ごわかろう
から、戎権仙に任せよう」
戎権仙:「しかし、七層の獄卒には力がありますゆえ、わずかに開ける程度で済ますわ
けには参りませんが」
天尊:「努力して出さぬように努めよ。剛力のそなたなればこそと思えばの抜擢だ」
戎権仙:「ははっ」
地球上の歴史を管轄していた錦織の里スペクトラムやロンバス四次元などに所属し、時
空ディストリビューターの任務にあたっていた諸天たちは任を解かれ、替わって引き継
ぎを済ませた天仙たちが時空の管理にあたることとなった。
言霊の海から龍神たちは締め出され、天仙たちがその任についた。このため、慣れない
者たちがする制御は、勢い不安定なものとなった。
とにかく、すでに定まっていたと思われた歴史は、大幅な計画変更の手が加えられたの
である。というより、計画性のない無秩序かつ未踏の時代が来ることになったのだ。
地球神界は杖の眷属のバイオモドキ神がスサノオ不在の中、主神となった。
彼は仏の顔を持ちながら、手足は無数の触手のようで、自在に伸び、血と汗という生け
贄を求めてやまない神であった。
触手に触れられた魂は、縮れ萎えて、魂に発する良心を無くし、悪虐非道の行いをもろ
ともしなくなるのである。
であるにもかかわらず、バイオモドキの触手から毒液をふんだんに浴びて狂人と化した
者は、地上の法の加護により、野放しとなった。
中途半端な中毒者には、逆に狂気に徹底せよとばかり制裁がかかるほどであった。
マスコミやプロパガンダを通じて、大衆の上には毒液が降り注ぐ。
地球上では、理論的であるとか、科学的であるとか、合理的である、法的であるとかに
よって、事の善悪が測られるようになり、民主主義や人権尊重が詠われ、理性が主導的
となった時勢の到来かと見えたが、それを頂点として、命というものが毛ほどの重さも、
拝金主義の台頭の前には感じられなくなっていった。
若は老を虐げ、強は弱を虐げることを厭わなくなっていった。
巷には有毒物質が溢れ、次世代への存続の可能性がもはや断たれようとしていた。
有毒物質の作用でなおも容易に狂い、狂った者ほど巷で大手を奮うようになった。キレ
易いという言葉が、正常人を表す常態語となった。
人間管理のしやすい宇宙文明においては、かつてのナチスやソビエトがそうであったよ
うに、強力な軍事共産体制が敷かれ、個人の自由というものはことごとく消え去った。
それでいて、能力優先主義が先鋭化し、力のないものはいつしか社会から姿を消してい
た。
人々はただ働くためのロボットと化することを余儀なくされていったのである。むろん
抵抗するものは、自殺するに等しく、ひとりでにいなくなっていた。
世界を覆う良識なるものは、不合理な法でしかなかったが、それに口出すものも皆無と
なっていた。
良識で生きる者は、どれほど残されただろう。
良識あるものも、非良識な組織下では、生き延びるために、それなりにふるまうことを
余儀なくされてしまったのである。
彼らはいずれ、闇の帝国の構成員となる手はずであった。
まずは前哨戦。いずれなる構成員たちを魂レベルで悲惨の坩堝に落とし込み、反作用を
無尽蔵に生ましめることである。
そのプログラムは、スペクトラムなどの時空ソフトディストリビューターから発信され
つつあった。
火の鳥の動き
その頃、2000年10月に解放されたはずの火の鳥は、片足を地上に残したまま溶け
るように粉末化していた。
天仙の計画が急展開していく中、火の鳥の存在はあまりにも遅々として写った。
それは天仙の観測にかかってはいたが、ちょうど人がUFOを見るように、無力で現実
味を持たぬものとして認識されつつあり、それに比例するかのように、赤橙色の火の粉
となって、地上に、また空中に飛散していったのである。
ある防空関係の天仙が言う。
「案の定、火の鳥は暗闇に弱かったな。活動指針が得られぬ期間が長ければ、やる気を
なくすものだ。
火の鳥の生命反応は乏しくなった。いわば自然界の中に溶け込んだ感じだ。
おそらく、この地球の自然界の滅亡と軌を一にするに違いない。おおかたぼんやりと迷
った鳥族の精霊に変じたのだろう」
宇宙連盟の船舶が地球に立ち寄っても、電磁妨害が軽減していた。
そのため、続々と地球に出没しつつあった。人の目にもときおり捉えられるようになっ
ていた。
-------------------------------------------------
ハーデースとはプルートのこと。ハーデース計画とは地獄計画のこと。
時空を管理していた龍神たちは国津神。任を解かれた痕跡がオーブ写真として捉えられている。
宇宙連盟の船舶もまた天仙たちの配下でしかない。
火の鳥だけが抑止力たりえたが、それもどうなるかといったところ。
大丈夫。まだ筋書きは続きます。
2011年3月、ネアンの役をハイラーキーの梵天Jが担い、熟練した火の鳥として飛び立ちました。
おりしも、アヌンナキの星ニビルが地球に接近中。これをカウンター的に迎え撃つ体制が整いました。
2011年4月、ニビルが賦活した太陽が超巨大コロナ質量放射を出力したとき、火の鳥はこのエネルギーを自らの身体に蓄えました。これは地球上への電磁障害を防ぐとともに、ニビル破壊のパワーを充填させた一石二鳥の出来事となりました。
新神話第六章より
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天尊は、煙る泉から浮き上がってきた蚊とんぼのような宇宙船を指でつまむと、地球め
がけて放り投げた。
それは、海の上に青い光芒を引いて落ちていった。
天尊:「それに伴ない霧人仙のグループにさせておいた終局計画をとりやめにする。
切り替わったこの新たな計画を計画の最後に置く。次代はもはやない。
あるのは、分離を果たした先の未来。そこにいまこの世界で遊ぶ魂たちを可能な限り掻
き集めて収容する。
いわば、彼らは人質だ。梵天はこれで手も脚も出ない。分離計画を早めるべく、ハーデ
ース計画を濃縮して実施に移すこととしたい」
霧人仙グループとは、地球上の歴史の随所に、終局計画の神話を置き残した者たちであ
る。
黙示録や末法思想などがそれである。彼らは、人間世には希望乏しく、人類には滅亡が
必至であり、その先に輝かしい時代が来ることを述べ伝える役目を担っていた。
そしていずれ関連する別のグループが、天尊によってプログラムされたスケジュールを
こなすことになっていたのである。
「ということは、最後の審判という、時代の最後を飾るフィナーレはないのでしょう
か?」
天尊:「何を聞いておるのか。意趣を覚れん奴だな。最後の審判というもの自体、蓄積
された反作用を帰零するものである。
だから、反作用の蓄積を利用する我々にとっては、そのようなものは無用のものとなる
のだ」
かつて言われていた最後の審判とは、地球に限られたものであった。ところが、もしそ
れがあるとすれば、これからは実験炉宇宙全体を対象にすることになろう。
観測するいちいちのものにとっては同じように捉えられても、意味するところはまった
く違う。天仙の意向に沿ったものたちは、反世界に行ってしまう可能性がある。
そこは階層構造でなるガチガチの闇の帝国となる。
外泰仙:「かつての最後の審判の行程に関わるよう命令されていたスサノオはいかがい
たしましょう」
天尊:「地球の目付役の立場から、異存を唱えてくるかも知れぬから、いま火の鳥と戦
わせているところだ。
何せ火の鳥は予定外の行動を取る不穏な節理だから、異常事態には断固立ち向かわせね
ばな。そこで忙殺されるだろう」
外泰仙:「では、面倒は起こさないですね」
井堂仙:「ならば、今からハーデース計画を行うということで・・」
外泰仙:「分かりました。では、実施グループの選抜を行います」
天尊:「うむ」
次の週の天仙全体会議には、千数百名の天仙が集まっていた。いつにない強力な結界が
張られたことと、今回の天尊の決定を入場時の司会者からあらかじめ聞き、がやがやと
興奮気味にしゃべりあっている。
「いよいよ地獄の釜の蓋を開くのだな」
「もはや次期計画は、地獄の名主を招請する程度ではなく、宇宙のカオス極大化を賭け
て地獄の獄卒たちをすべて解放してしまおうというわけだ。
そして、世界全体に巻き起こる一気呵成の腐敗堕落により、すべての魂の腐敗を誘い、
それをもとに反作用を一気に許容限度まで蓄積させてしまおうということらしい」
「それはまるで、なみなみとたたえられた汚物溜を実験炉宇宙にぶちまけるようなこと
になるだろうな。
この実験炉宇宙は、手のつけられない状態になるぞ。最後の審判があるとすれば、完全
に系を分離する一大事となるわけだ。
これが人間なら、同じ最後の審判と捉えることであろうが、ちと意味が違う。
老いも若きも、高下貴賎を問わず、よほどこの世を嫌がっていない限り、みんな我らの
支配下に置かれるのだ。
そのとき、わずかな罪を悔やんでも遅いというわけだ」
「獄卒たちの訓練された中には、まだ実験段階の残虐性を持つものが多いと聞くが、ど
んなふうなのか」
「それは目を覆うようなすさまじく凄惨で残虐な奴だ。いろんなものを見てきたわしで
さえも、やめてくれと言いたくなるような奴だ。
だからこそ、今回のカオス極大化には欠かせないのだろう」
「あの臭いのはかなわんが、わしらも魂を糞まみれにして堕落するのかの」
「わしらが歴史の金字塔として建てた記念碑や偶像はもったいない気がするが、みんな
打ち捨てていかねばなるまい」
「まだ我々は、高みの見物であるだけにましだ。しかも指導者であるだけにな」
「そうそう、付き従う人間どもは哀れだのう」
「馬鹿者。同情など禁物だ。チュウや妙義仙のようになるぞ」
「我々は、梵の全系とおさらばするのだ」
やがて議長が挨拶した。
「ええ、静まって。今回は緊急臨時会議であり、誰も欠席は許されておりません。
もし、この場にいないものあらば、後で報告願います。
さて、すでに噂が伝わっておりますように、ハーデース計画を実施します。
いよいよ、我々の分離独立に向けた運動も、佳境に入るわけです。
今ここで、皆様の士気のほどを確かめておきたく思います。ではみなさん、ご唱和を。
ハーデースプロジェクト、フレー、フレー」
「フレーフレーハーデース、フレーフレーハーデース、ワー」
パチパチパチパチ・・・・。
その間に元始天尊が中央の席についた。
天尊:
「みなの者。我々の主張は梵天によってことごとく退けられた。
それゆえいつ何時外部から破綻させられるやも分からぬ状況にある。
ファウンデーションの多くは壊滅寸前の状況にある。ここを最後の砦とせねばならぬ。
事は急を要することとなった。ハーデース計画を、直ちにこなさねばならない。
それによって新境を切り開く。すでに開いている地獄の釜の蓋は、一層から四層であり、
わずかに開き、抜擢されたものだけを解放してきた経過がある。
だが、それはもはや全開とする。加えて五層、六層を開き、七層を小出しに開けて、少
し長い時を刻ませるようにしたい。
過激に過ぎると、外野が動き出す。それゆえ、究極段階になって一気解放する。
この役目のうち五と六は、張林仙のグループに任せる。七層は、いささか手ごわかろう
から、戎権仙に任せよう」
戎権仙:「しかし、七層の獄卒には力がありますゆえ、わずかに開ける程度で済ますわ
けには参りませんが」
天尊:「努力して出さぬように努めよ。剛力のそなたなればこそと思えばの抜擢だ」
戎権仙:「ははっ」
地球上の歴史を管轄していた錦織の里スペクトラムやロンバス四次元などに所属し、時
空ディストリビューターの任務にあたっていた諸天たちは任を解かれ、替わって引き継
ぎを済ませた天仙たちが時空の管理にあたることとなった。
言霊の海から龍神たちは締め出され、天仙たちがその任についた。このため、慣れない
者たちがする制御は、勢い不安定なものとなった。
とにかく、すでに定まっていたと思われた歴史は、大幅な計画変更の手が加えられたの
である。というより、計画性のない無秩序かつ未踏の時代が来ることになったのだ。
地球神界は杖の眷属のバイオモドキ神がスサノオ不在の中、主神となった。
彼は仏の顔を持ちながら、手足は無数の触手のようで、自在に伸び、血と汗という生け
贄を求めてやまない神であった。
触手に触れられた魂は、縮れ萎えて、魂に発する良心を無くし、悪虐非道の行いをもろ
ともしなくなるのである。
であるにもかかわらず、バイオモドキの触手から毒液をふんだんに浴びて狂人と化した
者は、地上の法の加護により、野放しとなった。
中途半端な中毒者には、逆に狂気に徹底せよとばかり制裁がかかるほどであった。
マスコミやプロパガンダを通じて、大衆の上には毒液が降り注ぐ。
地球上では、理論的であるとか、科学的であるとか、合理的である、法的であるとかに
よって、事の善悪が測られるようになり、民主主義や人権尊重が詠われ、理性が主導的
となった時勢の到来かと見えたが、それを頂点として、命というものが毛ほどの重さも、
拝金主義の台頭の前には感じられなくなっていった。
若は老を虐げ、強は弱を虐げることを厭わなくなっていった。
巷には有毒物質が溢れ、次世代への存続の可能性がもはや断たれようとしていた。
有毒物質の作用でなおも容易に狂い、狂った者ほど巷で大手を奮うようになった。キレ
易いという言葉が、正常人を表す常態語となった。
人間管理のしやすい宇宙文明においては、かつてのナチスやソビエトがそうであったよ
うに、強力な軍事共産体制が敷かれ、個人の自由というものはことごとく消え去った。
それでいて、能力優先主義が先鋭化し、力のないものはいつしか社会から姿を消してい
た。
人々はただ働くためのロボットと化することを余儀なくされていったのである。むろん
抵抗するものは、自殺するに等しく、ひとりでにいなくなっていた。
世界を覆う良識なるものは、不合理な法でしかなかったが、それに口出すものも皆無と
なっていた。
良識で生きる者は、どれほど残されただろう。
良識あるものも、非良識な組織下では、生き延びるために、それなりにふるまうことを
余儀なくされてしまったのである。
彼らはいずれ、闇の帝国の構成員となる手はずであった。
まずは前哨戦。いずれなる構成員たちを魂レベルで悲惨の坩堝に落とし込み、反作用を
無尽蔵に生ましめることである。
そのプログラムは、スペクトラムなどの時空ソフトディストリビューターから発信され
つつあった。
火の鳥の動き
その頃、2000年10月に解放されたはずの火の鳥は、片足を地上に残したまま溶け
るように粉末化していた。
天仙の計画が急展開していく中、火の鳥の存在はあまりにも遅々として写った。
それは天仙の観測にかかってはいたが、ちょうど人がUFOを見るように、無力で現実
味を持たぬものとして認識されつつあり、それに比例するかのように、赤橙色の火の粉
となって、地上に、また空中に飛散していったのである。
ある防空関係の天仙が言う。
「案の定、火の鳥は暗闇に弱かったな。活動指針が得られぬ期間が長ければ、やる気を
なくすものだ。
火の鳥の生命反応は乏しくなった。いわば自然界の中に溶け込んだ感じだ。
おそらく、この地球の自然界の滅亡と軌を一にするに違いない。おおかたぼんやりと迷
った鳥族の精霊に変じたのだろう」
宇宙連盟の船舶が地球に立ち寄っても、電磁妨害が軽減していた。
そのため、続々と地球に出没しつつあった。人の目にもときおり捉えられるようになっ
ていた。
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ハーデースとはプルートのこと。ハーデース計画とは地獄計画のこと。
時空を管理していた龍神たちは国津神。任を解かれた痕跡がオーブ写真として捉えられている。
宇宙連盟の船舶もまた天仙たちの配下でしかない。
火の鳥だけが抑止力たりえたが、それもどうなるかといったところ。
大丈夫。まだ筋書きは続きます。
2011年3月、ネアンの役をハイラーキーの梵天Jが担い、熟練した火の鳥として飛び立ちました。
おりしも、アヌンナキの星ニビルが地球に接近中。これをカウンター的に迎え撃つ体制が整いました。
2011年4月、ニビルが賦活した太陽が超巨大コロナ質量放射を出力したとき、火の鳥はこのエネルギーを自らの身体に蓄えました。これは地球上への電磁障害を防ぐとともに、ニビル破壊のパワーを充填させた一石二鳥の出来事となりました。
ニビル・ザ・デススター・・・立ち向かうはフェニックス・ファイアーバード
いよいよ近づいてきましたね。
ニビル・ザ・デススター。
それは不可視化が随時にできるクリスタルでできた都市星と形容されるアヌンナキの御座所。
そこには新神話にいう天仙邪神が立て篭もる原始天尊の宮殿があります。

どのようにでも重力を捻じ曲げ、いつでも太陽のように光熱を発することのできる科学力を備えた、宇宙では敵対する者のない絶大な帝国の力を見せ付けてきた存在。(むろんこれもマトリックスRPGゲームの中での設定ですが)
これに対し、地球からは火の鳥がこれの殲滅に向かった。
神一厘の仕組みを顕すために。

メルヒェンでおじゃる。
さて、私(朱雀)が未だ逝かないのに、どうして火の鳥が発進したか。
いついつ出やるの「五月五月」の法則性に殉じたのはブーが身代わりになったという設定でした。
が、ブーは朱雀たりえないので、次に私の番がくるまでの時間つなぎのような設定にしていたのでした。
ところが、ブーは我が家に戻ってきました。家を出て三日後くらいでしたか。
しかし、設定として彼を別天に去ったことにしていたのです。
かくして、法則性による今年三月は、まだ誰も殉ずることなく、もうまもなく過ぎ去ろうとしているわけです。
設定さえすれば何事も可能なのが新神話だということも判ってきたため、私はスーパーな設定をすることにしました。
それは、まだ飛行技術も未熟な私が何も行かなくとも、私の直上のハイラーキーが行ってくれることに設定したのです。
すでにイナンナとカンナオビの見た夢の中の私のハイラーキーは、私似なるももっとりりしいお方で、イナンナが言うには梵天だというのです。それで私のことさえ梵様と彼女は呼んでおりました。
カンナオビも太陽のような光の存在に逝かされたと言っておりました。そのときは裸にならねば暑いほどとなり、足が一本になり、まるでクジラになったかのようだったと言っておりました。
正神軍を率いる梵天ならば、私のようなノーコンなことはないでしょう。
私は白龍のカンナオビに逢えないですが、ハイラーキーに任せたほうがうまくいくでしょう。
だが、まだわかりませんよ。
あと数日、三月が去るまではありますから。31日の23時59分59秒までわからないのです。が、私には5匹の扶養家族がいますから、まだもう少しは生きていなくてはならないから、クリアーしてしまうでしょう。
こう設定してから、ハイラーキーが動いてくれた証拠が、上の火の鳥発進の写真としてもたらされたと思っています。
彼にお任せしておけば、すべてうまくやってくれるでしょう。私がやればたいがいノーコンで直情的でオーバーランなどのヘマやらかすでしょうから、これでいいのです。
しかし、弁天様と結婚したかったのになあ。
できないなら、魂の途絶を願い出ればいいんです。割り切りましょう。
さて、新時代がやってこようとするとき、どうしても旧時代へのこだわりが邪魔をするものです。
新時代がなにものかわからない以上、旧世界のほうの安定性を希い、もとに戻ろうとするのが誰しもです。
そこで邪神たちが最後のひと暴れして、人々の既成概念や既成構造物を打ち壊すわけです。
それを利用するのが今度は正神であったりします。
今回の福島原発事故はそのようなものの最たるものであったかも知れません。
あるいはまだ、プラネットXとして地球市民を脅かしてくるかも知れません。
固着したゴム糊をはがすとき、バリバリッと音を立ててはがれるように、荒いこともあるのかも知れません。
私は、日本に引導を渡す手段を持っています。
それこそ魔法的ですが。
それをいちど引っ込めたことがあるのです。
もし引っ込めなければ、ノストラダムスの言ったように、1999年7の月頃にはその可能性があったと思っています。
日本の危機と同時に、旧神話が起動して、UFOが大挙して、次の時代を継ぐべき人々の救出にやってくることになっていたと思っています。
しかし、阪神の悲惨さを見て、効果を見て、おじけづいたのです。
やり直せば、同じ効果が得られるとは思います。
しかし、旧神話は、人の好悪によらず、半ば強制的な摂理然としてやってきますから、我々としてはふがいない話ではありませんか。
この十有年は、たぶんイナンナやカンナオビなどの協力者とともに、我々の納得のいく新神話への改稿を果たそうとするものだったように思います。
この世に現実に生きる者にとっての望ましい神話が我々を誘導してくれなくては、我々はいつまでも真の幸せから離されていなくてはなりませんから。
どこかのわけのわからぬ上位者が捺し着せた歴史に、俳優としてでも乗らねばならないなら、独裁者の圧政を甘んじて受けているようなものですから。
新時代は、みずがめ座とともにやってきているようです。
せっかくの機会なので、うお座の旧時代へのこだわりから、脱せねばなりません。
いっぽう旧時代の産物は我々に粘着してこようとします。
両者の牽引力で、もとの時代に簡単に戻してしまいますから、いっそうの脱出力が要るようなことにもなり、そこで強い破壊力が採用されたりするのです。
大地震、大津波、原発事故はたとえ悪意ある人為であっても、正神の利用するところでもあるのです。
その観点に立てば、私があのときおじけて取りやめたことも、この際好悪を問わずやるべきときかと思います。
旧時代のこだわり、築いた資産、所有地、土地のしきたり、宗教、旧思想、旧態科学、旧来のイデオロギー、資本主義、経済システム、国、境界線、隠蔽主義など、美徳とされたことも悪弊とされたこともみんな放棄して、きのみきのままの裸になって新時代に移行していきましょう。
それはもしかすると、死に似ていると思います。
その思いに立ち至ったとき、こんなことになってまいりました。
星の子UFO群が積極介入し始めたようです。
彼らはクロップサークルを一瞬のうちに大地に展開する能力者です。
建設(正義)は破壊(邪悪)よりはるかに労多く困難だからアンフェアーだと嘆いたことを解消する、ほんらいあったはずの拮抗する摂理であるのです。
魔法のように見えるが、ほんらい存在して、在ることが隠蔽されてきた力なのです。
隠蔽に賭したうお座は直ちに終了しなさい。
すべてをあからさまにするみずがめ座の前に道を開けなさい。
ニビル・ザ・デススター。
それは不可視化が随時にできるクリスタルでできた都市星と形容されるアヌンナキの御座所。
そこには新神話にいう天仙邪神が立て篭もる原始天尊の宮殿があります。

どのようにでも重力を捻じ曲げ、いつでも太陽のように光熱を発することのできる科学力を備えた、宇宙では敵対する者のない絶大な帝国の力を見せ付けてきた存在。(むろんこれもマトリックスRPGゲームの中での設定ですが)
これに対し、地球からは火の鳥がこれの殲滅に向かった。
神一厘の仕組みを顕すために。

メルヒェンでおじゃる。
さて、私(朱雀)が未だ逝かないのに、どうして火の鳥が発進したか。
いついつ出やるの「五月五月」の法則性に殉じたのはブーが身代わりになったという設定でした。
が、ブーは朱雀たりえないので、次に私の番がくるまでの時間つなぎのような設定にしていたのでした。
ところが、ブーは我が家に戻ってきました。家を出て三日後くらいでしたか。
しかし、設定として彼を別天に去ったことにしていたのです。
かくして、法則性による今年三月は、まだ誰も殉ずることなく、もうまもなく過ぎ去ろうとしているわけです。
設定さえすれば何事も可能なのが新神話だということも判ってきたため、私はスーパーな設定をすることにしました。
それは、まだ飛行技術も未熟な私が何も行かなくとも、私の直上のハイラーキーが行ってくれることに設定したのです。
すでにイナンナとカンナオビの見た夢の中の私のハイラーキーは、私似なるももっとりりしいお方で、イナンナが言うには梵天だというのです。それで私のことさえ梵様と彼女は呼んでおりました。
カンナオビも太陽のような光の存在に逝かされたと言っておりました。そのときは裸にならねば暑いほどとなり、足が一本になり、まるでクジラになったかのようだったと言っておりました。
正神軍を率いる梵天ならば、私のようなノーコンなことはないでしょう。
私は白龍のカンナオビに逢えないですが、ハイラーキーに任せたほうがうまくいくでしょう。
だが、まだわかりませんよ。
あと数日、三月が去るまではありますから。31日の23時59分59秒までわからないのです。が、私には5匹の扶養家族がいますから、まだもう少しは生きていなくてはならないから、クリアーしてしまうでしょう。
こう設定してから、ハイラーキーが動いてくれた証拠が、上の火の鳥発進の写真としてもたらされたと思っています。
彼にお任せしておけば、すべてうまくやってくれるでしょう。私がやればたいがいノーコンで直情的でオーバーランなどのヘマやらかすでしょうから、これでいいのです。
しかし、弁天様と結婚したかったのになあ。
できないなら、魂の途絶を願い出ればいいんです。割り切りましょう。
さて、新時代がやってこようとするとき、どうしても旧時代へのこだわりが邪魔をするものです。
新時代がなにものかわからない以上、旧世界のほうの安定性を希い、もとに戻ろうとするのが誰しもです。
そこで邪神たちが最後のひと暴れして、人々の既成概念や既成構造物を打ち壊すわけです。
それを利用するのが今度は正神であったりします。
今回の福島原発事故はそのようなものの最たるものであったかも知れません。
あるいはまだ、プラネットXとして地球市民を脅かしてくるかも知れません。
固着したゴム糊をはがすとき、バリバリッと音を立ててはがれるように、荒いこともあるのかも知れません。
私は、日本に引導を渡す手段を持っています。
それこそ魔法的ですが。
それをいちど引っ込めたことがあるのです。
もし引っ込めなければ、ノストラダムスの言ったように、1999年7の月頃にはその可能性があったと思っています。
日本の危機と同時に、旧神話が起動して、UFOが大挙して、次の時代を継ぐべき人々の救出にやってくることになっていたと思っています。
しかし、阪神の悲惨さを見て、効果を見て、おじけづいたのです。
やり直せば、同じ効果が得られるとは思います。
しかし、旧神話は、人の好悪によらず、半ば強制的な摂理然としてやってきますから、我々としてはふがいない話ではありませんか。
この十有年は、たぶんイナンナやカンナオビなどの協力者とともに、我々の納得のいく新神話への改稿を果たそうとするものだったように思います。
この世に現実に生きる者にとっての望ましい神話が我々を誘導してくれなくては、我々はいつまでも真の幸せから離されていなくてはなりませんから。
どこかのわけのわからぬ上位者が捺し着せた歴史に、俳優としてでも乗らねばならないなら、独裁者の圧政を甘んじて受けているようなものですから。
新時代は、みずがめ座とともにやってきているようです。
せっかくの機会なので、うお座の旧時代へのこだわりから、脱せねばなりません。
いっぽう旧時代の産物は我々に粘着してこようとします。
両者の牽引力で、もとの時代に簡単に戻してしまいますから、いっそうの脱出力が要るようなことにもなり、そこで強い破壊力が採用されたりするのです。
大地震、大津波、原発事故はたとえ悪意ある人為であっても、正神の利用するところでもあるのです。
その観点に立てば、私があのときおじけて取りやめたことも、この際好悪を問わずやるべきときかと思います。
旧時代のこだわり、築いた資産、所有地、土地のしきたり、宗教、旧思想、旧態科学、旧来のイデオロギー、資本主義、経済システム、国、境界線、隠蔽主義など、美徳とされたことも悪弊とされたこともみんな放棄して、きのみきのままの裸になって新時代に移行していきましょう。
それはもしかすると、死に似ていると思います。
その思いに立ち至ったとき、こんなことになってまいりました。
星の子UFO群が積極介入し始めたようです。
彼らはクロップサークルを一瞬のうちに大地に展開する能力者です。
建設(正義)は破壊(邪悪)よりはるかに労多く困難だからアンフェアーだと嘆いたことを解消する、ほんらいあったはずの拮抗する摂理であるのです。
魔法のように見えるが、ほんらい存在して、在ることが隠蔽されてきた力なのです。
隠蔽に賭したうお座は直ちに終了しなさい。
すべてをあからさまにするみずがめ座の前に道を開けなさい。
人類の模範的こころの民を襲った災難・・・救援のお願い
「東北関東大地震」は東北の三陸沖を震源とするM9.0の大地震で、スマトラ沖大地震のように大津波を伴った災害で、さらによくないことに、原子力発電所災害をも併発してしまいました。
日本の東北地方というと、古代アラハバキの居留した土地です。
そこは最も色濃く、イスラエルの失われた十支族の名残をとどめています。
海外のメディアも賞賛するように、そこに住まう人たちは、前途絶望的な中にあってなお、公共性、協調性、モラルを維持し、忍耐強く、古代から伝えられた真に平和を愛好する性質をそのDNAに刻んでいること、これは疑いようのないことです。
どんな苛酷な環境を天が与えようとも、謙虚にその立場に甘んじることを、何の宗教観もなくとも古くから維持しているのです。
毎年大雪に閉ざされる厳しい自然の中で、地道にひたむきに生きている人たちで、海外でも有名な映画「おしん」の主人公・田倉しんの生まれ故郷もこの東北です。
原子力発電所というと、非常に最先端的ではなやかに思えますが、日本が第二次大戦後、工業国を目指して経済優先の政策をとったために、人口の少ない日本の僻地を選んで建設していったものでした。
それが今、大津波の災難を受けて壊滅状態にあるときに、彼らをさらに苛酷な環境に晒そうとしています。
大自然の苛酷さにはなんとか耐えられても、有毒物の侵襲にまで耐えうることなどできないのが人の身というものでしょう。
どうか世界各国の有識者のみなさん、この東北地方に起きた災難を治める手段をお持ちなら、手助けしていただきたく、こころより切望しております。
日本の東北地方というと、古代アラハバキの居留した土地です。
そこは最も色濃く、イスラエルの失われた十支族の名残をとどめています。
海外のメディアも賞賛するように、そこに住まう人たちは、前途絶望的な中にあってなお、公共性、協調性、モラルを維持し、忍耐強く、古代から伝えられた真に平和を愛好する性質をそのDNAに刻んでいること、これは疑いようのないことです。
どんな苛酷な環境を天が与えようとも、謙虚にその立場に甘んじることを、何の宗教観もなくとも古くから維持しているのです。
毎年大雪に閉ざされる厳しい自然の中で、地道にひたむきに生きている人たちで、海外でも有名な映画「おしん」の主人公・田倉しんの生まれ故郷もこの東北です。
原子力発電所というと、非常に最先端的ではなやかに思えますが、日本が第二次大戦後、工業国を目指して経済優先の政策をとったために、人口の少ない日本の僻地を選んで建設していったものでした。
それが今、大津波の災難を受けて壊滅状態にあるときに、彼らをさらに苛酷な環境に晒そうとしています。
大自然の苛酷さにはなんとか耐えられても、有毒物の侵襲にまで耐えうることなどできないのが人の身というものでしょう。
どうか世界各国の有識者のみなさん、この東北地方に起きた災難を治める手段をお持ちなら、手助けしていただきたく、こころより切望しております。





